2016年8月31日

よさこい祭メダル

よさこいを見た。

よさこい祭りは、地元・高知で60年くらい続いている。

わたしはその歴史のなかで、小学校2年と3年と4年あたりでよさこいに出場したことがある。

突然だが、よさこいのときは、美容院に行く。

わたしは同級生のお母さんが働いている近所の美容院「フローレンス」へ行った。

小学生とは言えども人前で踊るのだ。
ふだんはしない化粧をほどこされ(遠目にも映えるように)、
髪をこの上ないほどにひっつめて(踊っても崩れないように)もらった。

当時の写真がある。

yankii

地元のヤンキー(憧れ)みたいになっている。 ※
真ん中がわたし

それもこれも、慣れないメイクとぎゅんぎゅんにまとめたヘアスタイルに、
わたしが望んだ髪飾りとメッシュを入れたらこうなったのだ。
はちまきを締めて一丁上がり。


ところで高知のよさこい祭りにはメダルというものが存在する。
踊る場所ごとに “審査員” がいて、
「あの子だ」と審査員から指さされた者は
係の人に審査員席まで連行され、メダルをかけてもらえるのだ。

メダルの数はけっこう多い。
老若男女、年齢・性別を問わず、
「全員」と言っていいくらいほとんどの人がもらえる(ものだと思う)。
2日目ともなると、けっこうな人がメダルをかけている。
わたしの隣で踊っている幼なじみのミキちゃんなんて、
メダルはおろか、花メダルまでもらっていた。
※ 花メダル:限られた人間しかもらえない特別なメダル。
花の中にメダルが埋め込まれている、アラーキーもビックリのデザイン。
選考基準はわからない。

しかし小学校4年の夏、
わたしはメダルをもらえなかった。

からだ全部をつかって、
先生に教わったとおり、いやそれ以上に踊っても、踊っても、踊っても、
「そいや さーの さーの さーの!!」と叫んでも、
わたしは花メダルどころか、メダルさえもらえなかった。

踊り場所も残すところわずか、わたしのテンションは下がっていた。

なんせメダルがないのだ。

ほとんどの人がもらっているのに。
忘却

がんばって踊っているのに
inasaku

結局わたしはさいごまでメダルをもらえなかった。

肩を落として帰り道、家まで残り400mほどというところで、
わたしはどうしてもおしっこをしたくなった。
落ち込んでいても尿意はある。
そこは近所のマスガタ商店街。
ここもよさこいの開催地となっているところで、
踊りが終わってもまだ祭りムードがそこかしこに漂っていた。
わたしもまだ踊り子の恰好をしていた。
踊り子ならこころよくトイレを貸してくれるだろうと母が判断したのか、
気づけばわたしは商店街のちいさな居酒屋に足を踏み入れていた。
一目散にトイレを目指し、ぶじに用を済ませて出ると、
母が世間話をしていた。

「メダルがもらえんかってね〜」

わたしがあと1、2年後だったら自尊心が傷ついてもおかしくない発言をしていた。
しかしわたしはまだ小4だったのでかろうじてその発言でも肩を落とすのみだった。
すると、居酒屋の主人が
「これ、ちょうどあるきー!」
とカウンターの中から出してきたのは、
メダルだった。
よさこいでもらえる、メダルだった。

かくして、わたしは、この小さな居酒屋で
居酒屋のご主人からメダルをかけてもらった。

踊りもせずに。

これではただのおしっこの功績。

だけどわたしは嬉しかった。
踊り終えてはじめて、
「あなたは今年の夏、よさこい鳴子踊りをおどりました」
と、言ってもらえたように思ったからだ。


2016年、今年もマスガタ商店街でよさこいを見た。
そしてあの日以来、初めてその居酒屋を訪れた。
ビールとレモンハイを飲んで、帰り際、ここでメダルをもらった話をした。

するとお店のご夫婦はうれしそうにしてくれて、
おそらく同一人物であるご主人が、
むかしは寄付をするとメダルがいくつかもらえていたけど、今はもらえん、
という話をしていた。

そういうメダルがあっていいと思う。つづいてほしい。
花メダル以上に存在の知られていない、地元の「おこぼれメダル」。


自力メダル
5 4