2023年4月16日

スパに行く

スパメッツァおおたか というところに来た。

一般の入館(入浴料)1,100円に
+800円で岩盤浴と本・マンガ1万5,000冊がよめるスペースが手に入る。
どちらかというと入浴よりたくさんの本の喜びがまさる私は
そのスペースで東京リベンジャーズを読んだ。意図せず、
最終回をむかえた。

 

・・おわっ・・・た?

 

「あまりに今まで大変なことがいっぱいあったから、
 いまひとつ最終回の展開をうまく信じることができない・・・・・・・・・」

と岩盤浴の石の上で考えている。


(2023年・春)

 

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2023年4月2日

犬が見てる

数メートル先の、
離れたところを
こちらに向かって散歩中の犬。
なぜか私を見るとおすわりをして、
さらにはなぜか伏せの体勢に入った。

・・・・かわいい!


・・・・あんな数メートル先から!


・・・・どうして!


あまりに"従順"を絵に描いたような姿。
私もおさえられずにニヤニヤが止まらない。
近づいても犬の様子は変わらず、50代女性・飼い主もどこかはにかんだご様子。
通りすぎる時、笑顔のまま、思いきって聞いてみた。

「どうして、ふせたんですか〜?」

無視された。

飼い主にも、犬にも。

数秒後、

「***〜!」

なんだか背後で盛り上がり。

ふりむくと、私のうしろに、また別の犬を連れた人間がいた。
犬はその犬を見て、従順な態度を見せていたのだ。

こっちに手をふっていると勘違いして手をふり返すより、
2重・3重の悲しみがそこにはあった。

泣きそうになった

春だからか

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2023年3月19日

大学・春・マイルストーン

3月14日

最近、

出かけるのが面倒くさい。

どのくらい面倒くさいかというと、
すごくすごく面倒くさい。

仮に楽しみにしている約束があったとしても
当日になると面倒くさくなることもある。

今日は何の約束もなかったけれど、
起きたての天気は曇っていたし、
昨日の段階ではしようと思っていた洗濯もやる気にならず、
出かけることにした。

今日は出かけるまで1時間、とタイトな準備を心がけ、
出発予定の時刻が近づいた時、その時間が1時間早いことに気づいた。

しばらくボーッとした。


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春、マイルストーン

大学に来ても、母校という感じがしない。
ただ過ごさせてもらった場所。
なつかしい、とか、なじみのある場所でもある。
(それを"母校"というのか?)

友人から ここ行ってみたら? とか、これ浜ちゃんにいいかも
などとススメてもらってピンときたものはすぐ調べるなり
行くようにしている。

今日は村上春樹ライブラリーに来た。

本がいっぱいある。

本がいっぱいあるけれども、
私は入ってすぐのオーディオルームにそれこそ入ってすぐ
腰を下ろす。座ったソファ席のすぐ後ろの本棚に
置かれてあった『村上ソングス』を手にとってパラパラとする。

進むしかない

と思った。





私は今年に入って月に2~3回は大学のあるこの駅に来ている。

※マイルストーン:早大生向けの情報誌。科目やサークル情報を網羅

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2023年3月12日

小芝居チャンネル、やってます。

撮影前日の夜、出演者のゴンザさん(本井さん)からメールが来る。


お疲れ様です。
稽古終わりまして、早稲田で〇〇〇〇行ってきました。
店の前に薪の山!山!
扉開けて、「早稲田で演劇やってる者ですけど、薪を一本いただくことできますか」
自分の子供と言ってもいい位の女子学生がオーナーに確認してくれて
「色々高くなってて、、薪の一本でも難しいです、すみません」
おじさん、食い下がり「いくらで譲ってもらえますか」
女子学生は確認することなく「そういうサービスやってないんですよ」と即答されました。
帰り道、オーナーに確認してきてと言えなかった自分に意気消沈して、
留守電が入っていたので聞いたら、腕時計の修理が1万4000円と言われ、
もろもろあって今家でビールを飲んでいます。




小芝居チャンネルを始めた。
1本1本、8割くらいは出演してくれる役者をイメージして台本を書く。

役者によって、そしてその近辺で起こる出来事や自分の体験によって
1本1本が出来上がるからどんなものになるか予想ができない。

日々の中でできていく台本、
そのあとでようやく必要な小道具や衣装が見えて、
できるだけ登場する役者に持ってきてもらう。
(その方がより個性が見えるだろうという考えも何気にある)



今回は薪が必要だった。
その台本を書くまで薪が必要になるなんて思いもしなかった。
出演するゴンザさんに小道具・薪の相談をして、
「そういえばあの店に薪が置いてあった、」という流れからあのメール。


「早稲田で演劇をやってる者ですけど」

扉を開けて、の部分で私の脳内では後光がさしている。
そう言われてみたら私たちは早稲田で演劇を20年近くはやってることになる。


またちがう出演者、たかたん(仗さん)には前日にこうメールした。
「家のシーンは足元も映るかもしれないので、靴下も数枚おねがいします…!」
こう返ってきた。「靴下は黒しかない!」

そんな小芝居チャンネルを、やっています。


↑ クリックするとチャンネルにとびます。

ところでそんな「薪」の登場する小芝居は本日アップです。どうぞよろしく

 

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2023年3月5日

やや日記

2月某日

このところ昼食が15時になる。
そしていっぱい食べてしまう。
夕方、ちょっと寝て、起きて、消費期限が昨日までだったひき肉をなんとかすべく、
ミートソースをつくる。それから、迷ったが、友人の店(ビール屋)に行く。

行ったけど友人は休みだった。そんな日もあるのか。あるか。

その日はアルバイトの子ふたりが店をまわしていた。
ふたりとも喋ったことはあるので相手してくれる。やさしい。
男の子の方が、最近なんかいいことありました?と聞いてくれる。
数秒考える。言う。

「・・・ふたりと、会えたこと!」

聞くと数秒前からニヤニヤしていたらしい。
たぶん思いついた瞬間だ、これ、いいな、と思ってたんだ。

すると、「じゃあ本題に・・・」

と言われて ? となる。

最近いいこと、なんかありました? 改めて聞かれる。

 




どうしよう。本当にふたりと会えたことな気がする。

あとは今日の夕日がきれいだったとか、そんなところ。



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2023年2月26日

ママ友

敦子さんの家に行く。
引っ越してから、会うのは初めて。
いつからこっち来てたん?
と聞かれて、
6月です。
と言うと、
ちょっとあいさつに来るの遅すぎひんか?
と極道の妻みたいなことを言われる。
でもその後「言ってみたかったんや」とフォロー。
でもやっぱりその後「それにしても遅すぎるなぁ」と言ってたので
どちらかというと 言ってみたかった というよりただの本心だ。

夕方頃から公園に行くらしい。
前日から、すでにメールで「ママ友もいるで」と連絡があった、
公園に行く前にも「ママ友もいるけどどうする?」と心配してくれる。


ママ友


というのがよくわからない。
まあ自分にママ経験がないから自然なことかもしれないけど
ママ友という3文字からはなぜか明るいものを感じない。

そしてどちらかというと馴染めないであろう予感だけが強くある。

それなのに、敦子さんに、ママ友?
どうやってママ友と交流をしているのだろう?
ママ友との交流というのはどんなものなんだろう?
敦子さんはママ友に何を感じているのだろう?


「普通やで」

と敦子さんは言う。「今、起きてることを、言う。」


遊んでる子どもを眺めて、それについて喋ったり、
互いの子どもの兄弟「さいきんお兄ちゃんどうしてるん」を話したり、
あとは今日の天気のこと「今日も寒いなー」など。

今、起きてることを、言う。

敦子さんは言った。
事実、私と話しているとき、敦子さんはすごくたどたどしかった。

「え、それ、それは、それ、とは?」

みたいな感じ。語尾が「とは?」
なにか高度な数式の解答を求められているのかと思った。


「いや、人と話すん久しぶりやからさ。」

と敦子さんはママ友を除外して言った。

いざ公園に行くとなったとき、

ママ友は何人?

聞くと

「最近1人増えてん。
 3人になった。」

と敦子さんは言った。

敦子さんを入れて、3人。
ママ友は、2人。
元々は1人だった。ママ友。

〜・〜・〜・〜

結局私は公園に行き、
ママ友2人と会い、
あいさつするときおそらくそのNEWママ友であろう人が
マスクをとってあいさつしてくれた。

その後敦子さんがもう一人のママ友に

「あの人の顔はじめて見たな。」

と言っていた。

遊んで10回くらいらしい。

ママ友にはそれぞれのママ友の世界があるということだろうか。

人生いろいろ、ママ友もいろいろ。




【写真:敦子さんの家で陽の方角へと向かってたくましく育つ豆苗】


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2023年2月19日

# 私も

東京都現代美術館で開催されていた、
ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ「柔らかな舞台」に4回行った。

4回行ったのは何度も繰り返しというより単に集中力がもたないため
1回につき2〜3作品しか通して見れなかったためで、いやそんなことより
見た作品の中に「オブサダ」*というのがあり、映画大学の学生や卒業生、プロの撮影クルーら8名の女性たちが、撮影をしながら、あるいは協働作業をしながら、様々なシーンで話し合う。


「怒鳴られると踏み込まれたと感じる。」


「いつも社会との関わり方に自信がもてなかった。」


「女の子は自分を低く見積もり、不必要に勉強をしすぎる。」


そして映像の中で、カメラを構えているはずの人が話し出し、
カメラを向けられている人がこちらを振り返る。


「怒鳴られると安心する人もいる」


「自分で考えずにすむ」
「自主性も捨てられる」
「判断しなくていいから」
「慣れているから」


その作品を見ていて、
ふと気づいた。


わたしは #me,too がこわい


ある年から流行りはじめた運動を、
私は人から聞いて知ったが、今ひとつピンとこなかった。

「え、今、me,too運動って、知らないの?」

見ると、差別や暴力を受けたと感じたことのある女性が、自分の体験談などとともにハッシュタグをつけて意見を表明する、というものらしい。

その時はなんとなく変な違和感を感じて放っておいたのが、
今、それを こわかった とわかった。

映像の中の言葉は私がその場で走り書きしたものだし完全ではないが、
映像の中で女性たちは誰かが発したことに「でも、それは、」
と異論や疑問を呈する場面もあった。
そしてそれに同じ人や別の人が何かを考えて答える。

#me,too にはふしぎな勢いがある。

日本語に置きかえたら「私も。」私もそう思ってました。

誰かが言って、そこに乗っかる「私も。」

その流れは誰かがトイレに行くと言ったら私も行く。
女子特有の連れ立って行くかたまり感。

もちろん「問題」は提起がなければ発展もないという
ひとつの流れが存在するとは知っているが、

この、「1」があってそこに#me,tooとさも理由のありそうな大量のものが乗っかる、
そのパワーには平和より戦いを感じてしまうのは私だけだろうか。

私にも少なからず"性"を元にあやしい対応や攻撃を受けたことはあるので、
怒りに理解がないわけではないけれど、
怒りを怒りのまま団体性にしたところでそれは戦争となんら違いはないのではないかとも思う。
怒りが大きな渦になってしまっては暴力になりはしまいか。

だから何ができるかってそれは大きな話題だし別の話な気もするから
遠慮なく逃げます。
私は自分で考えたり、時には動いたり、動かなかったりするくらいしかわからない。
でも自分で考えたり、その心を癒したり、誰かと話したりすることは決して無駄なことではないと思う。

今回の展示「柔らかな舞台」のためにつくられた書籍の冒頭で、
東京都現代美術館学芸員・崔敬華氏が書いていた。

“ (「オブサダ」を含む)これらの作品では、女性の文化生産者や研究者たちが、音楽や詩や対話を通じて自らのアイデンティティと内に抱えた脆弱性を問い直し、自己の主観性を表現する言語をともに模索する。”

Me, Tooにたりないのは脆弱性だ。あるいは、脆弱性をよしとしないその雰囲気。

(2023年2月)


*「オブサダ(obsada)」は、ポーランド語で「キャスト」、「共同作業」、「植物を植える」など複数の意味をもつ。[展覧会パンフレットより]

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2023年2月12日

いまさら 年末年始 日記

2023年2月

おととい小芝居チャンネル撮影をして、
そのあとからなんとなく郷愁感が高まっている。
ひさしぶりに雪を見たからか(南国なので逆に)、
雪の中撮影のために歩いたからか、よくわからないけれど。

いまさら 年末年始 日記

東京を出る前には「あそこに行こう! どこそこに行こう!」
意気揚々と胸の内でリストアップをしていたのに、
実際高知に帰って、私はほとんどどこにも行かなかった。
(サーカスには行ったなぜか)

東京に戻る飛行機の中で、機内誌を読む。
(行きの飛行機で、フライトアテンダントさんが 1月になったら毎年、その年の占いが載ってるんですよ〜!今から楽しみです! と言っていた。)





 


と書かれていた。


今年はどこかで旅行に行こう。



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2023年2月5日

としごろ

(( 2022年 5月 ))


「やせた?」


と久しぶりに会う友だちに言われる。


「・・・やせた!?」


ある程度の年齢を越えると、「やせた」と言われると心配になる。


「えっ! げっそり!? げっそりした!? 心配する系の!?」


どうしても"痩せ"と"健康"が結びつかない。


「いや、心配する感じじゃないよ。」


健康の範囲内、とのことだった。

自分がやせたかも太ったかも、あまり人と会わないとよくわからない。

家に帰ってから、お風呂に入りつつ考える。

「もしかして、最近自分でやってるリンパマッサージがよかったのかな?」

「この、あごのあたりのことかな?」

「そもそも、どこを見てやせたと思ったのかな?」


そぼくな疑問が出てくる出てくる。

翌週、同じ友だちと会う機会に恵まれたので、聞いてみた。

「ねえねえ、どうしてやせたと思ったの?」


「知るかよ!!!」


と言われた。




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2023年1月29日

スポーツマン


彼の話、なんだか印象深かった。


最近、エントリーシートを書いていると、自分と向き合うことになって、
今までやってきたことはダメだったから今エントリーシートを書いてるんだけど
それがまだけっこう自分の中に残っていて、
それを少しずつほどいていくんだろうな、というようなこと。

聞いて、また私の中でいくつか変換されているだろうけど

ダメじゃないよ。

と言ってもそれは多分あまりに軽い。

0コンマ何秒のタイムのことばかり気にして、
やる度に毎回浮き上がる課題、0.0〜秒を速くするために
スタートの角度、折り返す時の姿勢、体を動かすすべてのフォーム、
練習や試合の都度出た課題をきっと達成できてたこともあったのに、
どうして自分は褒めてあげなかったんだろう。タイムのことばかり気にして

彼が目指していたのはオリンピックだから、
行けたか、行けなかったかの2通り。


もっと認めてあげたらよかった。ひとつひとつを






(2023年 1月)

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