恋愛、仕事、人生、とくにどれにも自信がもてないが、他にもある。
食材の、旬!
野菜、果物、あらゆる食べ物に「旬」というものがあって、
それがいつなのか、その時には覚えていてもすぐ忘れる。スイカ以外
なにがしかの本には旬なものを食べることが何より健康によいと書かれていたし、
私のようなズボラな人間にとっても、旬なものを使いさえすれば、ある程度簡単な調理であっても
なんとなく美味しく仕上がる。焼いて、塩をふるだけで
だから、できれば、旬なものを知っておきたいのだが、
最近は年中トマトが売られていたり、年中イチゴが元気そうに並んでいたり、
スイカさえ夏以外に出会ったりする。
スーパーの陳列では私の学習の役に立たない。
昨日、本屋で新刊のマンガを買った帰り道、魚屋に寄った。
この魚屋は「THE・魚屋」というより店舗の8割が野菜や惣菜を売っている隅で、
間借りか何かで運営している魚屋なのでこのような私でも訪れやすい。
店の前を通りすぎるとき、美味しそうなブリが目に入った。
それで自転車を降りて今、魚ショーケースの前に立っているわけだが、
さて、どうしよう。
昔は「おつりの計算」に自信がもてず、
その時はあてずっぽうで小銭を出してみて店員の反応で当たり外れをうかがったものだが、
食材についてはあてずっぽうでできる何かの手段がない。つまり
勇気を出すしかない。
「ブリ・・・・、って今でしたかね?」
自信がもてない質問は、往々にしてよくわからない響きになりやすい。
「ブリって、今?」
なんなんだろう。聞いた私が一番ポカーンとした顔をしている。
「こんにちは。私、食材の旬を知りたいと思っている者ですが、
いまひとつ学習の場を逃しておりまして、おうかがいしたいのですが、
ブリというのは、今が旬なのでしょうか?」
電話口なら、こう言うけれど。
「おかしいと思うでしょう?」
しかし、今日の店番を担当していたご婦人にはその意味が伝わったらしく、
高温の油に入れた唐揚げみたいに話し出してくれた。
「おかしいのよ!
最近、脂ののったブリが、じゃんじゃんとれるの!
なんだか、今年、おかしいのよ。
急にあったかくなったでしょ!
ブリってふつう、まぁ冬、1〜2月頃までって感じじゃない?
それが、今年のその時期は、もうっ、全っ然!
赤身のブリしかとれなかったのよ!
それが!!
春になって!
ブリがとれまくってるの!
土佐湾でね〜」
よかった。
自信がもてないために記憶がおぼろげだったが、
そう言われてみたらブリは冬だ。
「たしかに、この冬、あまりスーパーでもブリを見かけませんでしたね!」
「そうなのよ〜!
3月4月は彼岸ブリっていうでしょ?
でもあれって虫が入りやすいから嫌がる人も多くてねえー。
だからこの5月、いっぱい知り合いにもう送りまくってるわよ!」
私はうれしい。
これで、ブリを知ってる、ブリの旬に自信のある人の仲間入り。
私は今、ブリを知ってる。昨日より

*これはエッセイに残しておくことで(忘れっぽい私が)(あるいはすぐ忘れる私が)記憶に結びつけようとする目論見です。
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いつだったか、中高時代の友人に聞かれた。
「今まで聞いてみたかったけど、あだ名をつけたことに後悔はないわけ?」
と。
ある。
後悔というか、反省に近いものを、抱いてはいる。
私の友人には未だに「ケント」と呼ばれている女性がいる。
私がつけた。
察しの良い人ならもうお気づきかもしれないが、
かのマルチタレント、ケント・デリカットから名前を拝借している。
当時、中学1年生だったころの彼女はケント・デリカットに似ていたのだ。
同じクラブ(部活)に集まった私たちは皆一様にシャイで、私はその中でも率先して喋り、
いつだったか皆の緊張もほどけ仲良くなった時、彼女をケント、と呼んでみた。
すると意外にも周囲の賛同を得、彼女はケントと呼ばれ始めたのだった。
今なら思う。やってはいけない、と。
いくら似ているからって、
名前に「ケ」も「ン」も、ましてや「デリカット」も入っていない女子中学生を捕まえて、
「あんたは今日からケントだ」なんてたかだか同級生の身分で名付けるなど、言語道断だ。
その子の親が聞いたら、泣くというか戸惑うだろう。
しかし、私はその後も女子校においての生活で
「森」という名の女の子を「もりもり」と呼び、
「長嶋」という名の女の子を「ミスター」と呼び、
おかっぱに髪を切ってきた女の子を「こけし」と呼び、
頼りになる先輩を「母さん」と呼んで過ごした。
ひどい。と既に思っている方もいるだろうが、敢えて、言いたい。
当時の私に悪気はなかった。
むしろ良かれと思っていた。
悪気がないことこそ相手に不本意だった場合タチが悪いということも、
20代を後半にさしかかり知ってもいる。
今や、異名をもつ彼女達は高校を卒業し、方々で立派に働いている。
ケントは聞くところによると、現在保育園で勤めており、
ヒョウ柄の服なんかも好んで着ているらしいし、
おおぶりのメガネをかけていたのはいつの頃、ケント・デリカットの面影は今や微塵もない。
しかしコンタクトレンズをつけているにも関わらず、
彼女は未だに中高の友人から呼ばれているのだ。
「ケント」、と。
だけどあれは、高校2年か3年のときだっただろうか。
私は、ケントがクラスで「さおり」と呼ばれていることを噂で聞いた。
本人が言ったらしい。
「さおりって呼んで。」
と。
それを知った高校生の私は、胸を痛めた。
・・・嫌だったんだ。
と気づいたのだ。
本人が一度も嫌な素振りを見せたことはなかったし
恥ずかしそうにしていたことはあったが、
なにせ悪気はない=良かれと思ってしたことだったので、
本人が嫌などとは考えもしていなかった。
しかし、彼女も言うのが遅かった。
約5年間、学校生活を共に過ごした彼女は、
もはやTVで見るケント以上にケントだった。
ここでまた、敢えて言いたい。
私はあだ名が嫌いじゃない。
人間が一度戸籍に登場すれば、滅多なことで名前は変わらないだろう。
でも、もし、そこから違う名前が生まれたら?
その人の雰囲気を、名前より醸す言葉で呼ばれたら?
新たな可能性があらわれて、輝きを増す人はいないだろうか。
また、その周囲も、のぺーっとした顔の無口な人が「おかめさん」と呼ばれた瞬間、
話しかける気持ちが芽生えやしないだろうか。
渋い顔をして話しかけにくかった上司が「次郎長」と呼ばれていた瞬間、
閉じた心が開きやしないだろうか。
あだ名には、人と人をつなぐ、可能性があるのでは?
ちなみに私の中高でのあだ名は「ひろじ」である。
これも私がつけた。
当時放送されていたお笑い番組で、
関根勤さんが真似する大滝秀治さんが好きだったことによる。
ひでじ×ひろこ、で、ひろじ。
そう、あだ名に深い意味などない。
それは、呼ぶ/呼ばれるためのものだからだ。
深みが出るのは、呼んだ/呼ばれた後の話なのだ。

あだ名について 2012年 夏
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大学2年生のとき初めて髪をベリーショートにした。
それは夏、当時付き合っていた人とどうしても花火が見たくて、
でも東京で花火が見られるなんてディズニーしか思いつかなくて、
彼氏と花火を見るなんて初めてだからどうしても浴衣が着たくて、
友達に着つけをしてもらったんだった。わざわざ家まで来てくれて。
するとビックリするくらい浴衣とベリーショート(と顔)がちぐはぐで、合っていなくて、私は取り急ぎ、(驚いたのと思いつきとの順番は定かじゃないけど)ひょんなことから家にあったヘアウィッグをかぶって出かけたのだった。
たしか彼とは電車のホームか、
電車の車内で待ち合わせした。
けっこう地下深かったイメージがあるから大江戸線だったかもしれない。
私はすごくドキドキしていた。
デートもろくすっぽしたことのない、19歳だった。
浴衣を着て、今から彼と、ディズニーに、花火を見にいくのだ。
電車で、落ち合った彼はなぜか疲れていて、バイトの後だからか仕方ないかもしれないけれどどこか怪訝な顔をしていた。そして隣り合わせで車内の横長のシートに座ったのか、それともドア付近に立っていたのだったか、とにかくすごく困った顔で言ったのだ。「俺、日本人形とか苦手なんだけど。」
ディズニー・シーのコインロッカーに、
かつらを泣きながら投げ入れた女性はこの世に何人くらいいるんだろう?

怒っていてもなぜか記念写真は撮る
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小学生の頃、男子からは「はまぐち」と呼ばれていた。
なんてことはない。苗字で呼ばれていたのだ。
全校生徒約150人、1クラスのみ23人しかいないその学年の半数を占める女子は皆男子から苗字で呼ばれていて、しかし、1人だけなぜか下の名前で呼ばれている女子がいた。
「さえか」
それがその子の名で、なんでも同じ苗字の男子が同じ教室にいるからというのがその理由らしいがその男の子だって下の名前で呼ばれていたから、きっとその子のちょうどよい鋭さと新しさと大人っぽさを兼ね備えた名前にも理由があるだろうと私はふんでいた。
そして、憧れてもいた。下の名前で呼ばれることに。
あれは小学3年か4年の時だったか。
思い切って、よく一緒にテレビゲームをしていた双子の鈴木兄弟の兄の方にお願いしてみた。
「ねえ、私の名前、下の名前で呼びすてにしてくれん?」
「いいよ。」
案外すんなり通った。
だけど翌日、学校で会っても私は「はまぐち」と呼ばれた。
学校でも、一緒に遊んでいても、特に呼び名は変わらなかった。
やっぱり同級生の男子の目とかあって大変なんだろうな、
と私なりの理解を示し、下の名前呼びすての夢をあっさり諦めた。
いつも通り授業を受け、休み時間や放課後は遊んで、
時に一人でブランコに乗り、夕暮れより前に帰る。
ある日のいつもの帰り道、
幼なじみの女の子と二人、ランドセルしょって歩いていると、
車道をはさんで向こうの道を、鈴木兄弟の兄が自転車に乗って通り過ぎようとしていた。
その時、
「ひろこ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!」
なぜか彼は大声で私の名を呼んだ。
それは"呼ぶ"というより"放った"に近かった。
「あ、鈴木くんだ、」気づくか気づかないか、
それとほぼ同時か少し前、彼は自転車をこぎながら、呼んだ。
「ひろこ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!」
一瞬こちらを向き、ニヤッとしたのかしなかったのか、
とにかくそれだけを発して風のように去っていった。
ニヤニヤの余波を引きながら走り去っていく自転車の後ろを、あっけにとられて眺めた。
恥ずかしさと照れとそれを上回る高揚感。
なんだろう。
その日の帰り道を、忘れることができない。

(2012年、2017年、2022年書記)
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いとこの家で月1で開催されている、ヨガ教室の体験に行ってきた。
「いとこの寛子ちゃんです。」
と、いとこが可愛く紹介してくれる。
講師の方から、初回時用の紙を渡され、
自分が今自覚している体の状態などについて記入する。
その後しずかに教室がはじまり、驚いたのは、
それぞれ参加者の最近の体調などを話すコーナーがあったことだ。
ある人は仕事で県外に行って悩んでいたヘルペスが完治した、
ある人は経理のためのデスクワークで少し腰に負担がかかっている、など。
そんな中、いとこの夫が、
「こないだジェットコースターに乗ったんですけど、」
と話し出した。
私はヨガのことをあまり知らないので分からないが、
ヨガの教室でジェットコースターの話をする人なんているんだろうか。
いとこ夫は続ける。
「できるだけジェットコースターで気持ち悪くなりたくない、と思っていて。
それで、乗って、登って、一回下までさがりきった時に、怖い、っていうことじゃなく、
これはかなり体に負荷がかかるぞと思ったんです。
その時、整体師の先生が、交通事故にあった時、
目を閉じて深く呼吸をしたって言ってたことを思い出して。
それで僕も、目を閉じて、深く息を吐いてみたんです。
それで、目を開けたら、終わってました。」
まるで作文、夏休みの、思い出。
ヨガ場が不思議な空気に包まれた。
私はその時隣で乗ったはずのジェットコースターのそういった負荷の反動や、
その後楽しんだインラインスケート時の筋肉痛がまだきていないことを忘れ、ヨガに勤しんだ。

ちなみに最初に渡された問診票のような用紙、
「書ける範囲でいいので」とのことだったので名前のところには"寛子"と書いておいた。
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春。
春になり、おもちゃ売り場をふらついていると、ボールを見つけた。
ボール。ビニールのボール。
子どもの時、こういうボールがなんとなく心からたまらなく好きだったこと、
家の前を流れていた緑色の川にときどき浮かんでいたこと、
などを思い出し、購入することにした。春だし。
いとこの娘(通称:いとこ娘)が好きなドラえもん色。

「ボール買ったんだけど、遊ばない?」
ボールの写真と、チャラいメッセージを送り、いとこと日程を検討する。
そして候補日となっていた週末の土曜日、いとこから電話がかかってきた。
「なんか、みう(いとこ娘)が、
物理的に、遊べる時間が一番長い日がいいって言ゆう。」
・・・物理的に!
一応候補はいくつかあって、
今日土曜日、いとこ娘の習い事の合間か、
あさって祝日も二人で過ごす予定のため都合がつくらしい。
「明日は、なんか、
レジャーチケットみたいなのもらっちょって、
それがもうすぐ期限切れるき、
急遽、鷲羽山ハイランドに行くことにして。」
ここで、しばし、間。
電話向こうのいとこ娘が何か言っている気配。
「寛子ちゃん、、、
鷲羽山、、、、
行く、、、、、?」
突然のことに、私も、しばしの、間。
「いやっ! なんでもない! 気にせんで!
みうが行きたいって言よったき!」
「・・・行きたい・・・」
ちょうどその1週間前、私は車で関西に向かっていて、
瀬戸大橋を渡りきる手前、車内から見えたなつかしのテーマパークが気になっていた。
「行く」ことにしないと行けない場所。
久しぶりに行ってみたいと、多分どこかで思っていた。
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「物理的に遊べる時間が一番長い日」と言っていたいとこ娘に対しては、
そんな一度きりなんて思わずに! ということで
その土曜日もいっしょにボール遊びをした。
この翌日、私たちは鷲羽山ハイランドに行く。
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3月某日
18:30。おかんと回転寿司。
先に店につき、入り口入って左手・一番奥のボックス席に案内してもらう。
このボックス席に座る頻度は高く、私はいつも通り奥側の席に腰掛けたが
今日は割と客が多いせいか、カウンターをはさんで向こう側のボックス席、
視野だけで確認したところ子供づれのファミリーばかりで、なおさら人が多く、落ち着かない。
・・・静かに入り口寄りの席に移動する。数分後、母が来て、笑顔で奥の席に座る。
二人で「赤だし」を注文し、母だけ「茶碗蒸し」を注文する。それからいざ寿司の注文をしようと、
カウンター側に置かれた注文用紙を取り「えんがわ」「生げそ2皿」などと書いている途中、
母親がやや身をかがめ、少し声をひそめて
「向こうの席に、ミカちゃんがおる。」と言った。
「えっ!」
ミカ、というのは中・高時代の同級生だ。
私もなぜかやや身をかがめながら、そっと振り返る。「子供いっぱいおる。」
振り返る私のナナメ後頭部にも母がまだ喋りかけてくる。
ほんとだ。子供がいっぱい(少なくとも3人以上)いる。
どうやらこちらから背中側が見える、ミカの向かいの席の人間も同世代の女性と見え、
子供はおそらくその女性の子供も含めての数、
その女性は妹の"マキ"だとふむ。「妹や。」
部活でも6年間一緒だったこともあり、私は妹も知っている。
なんならお父さんとお母さんも知っているし、お父さんが当時オリジナルでつくって気に入っていたギャグも未だに覚えている。「パッパパパッパ!」と言いながら手を顔の前に出してつられるように顔を・・ってこれはパールライス!?いや、ギャグの説明は今いいか。
「ミカや。」間違いなくミカだった。
マスクをつけていても、寿司を楽しそうに選ぶミカだった。

私は母に向き直り、「どうしよう。」と言った。そして考えた。
今、話しかけても互いにまだ食事中だし、こちらはまだ一皿も食べていないし、
この先、長時間意識したままというのは気まずい。
ひとまず声をかけるかどうかは相手が帰るときになってから考えよう。そう思った。
「でも全然気づかれてない。」と母が言った。
曰く、「私、けっこう気づかれんがって。」とのこと。
意外だな、と思うのは自分の母親だからだろうか。まあ少なくとも目が合ったりもしていないようだし、私たちは寿司に集中する。「えんがわ」「生げそ」「つぶ貝」に「ウニ」!
店内が混んでいるためか提供が遅れている。最初の注文から体感にして10分が経ったとき
一皿目がきて私たちは狂喜。そうして2回目の注文をし、1回目の2分の1くらいのタイムで
寿司の皿がやってきたとき「あっ!」母が言う。
「ミカちゃんが、おトイレに、立った!」
まるでクララ。
私たちのボックス席はトイレ入り口の真横の席のひとつ奥で、トイレにとても近い。
遠くからだと気づかれない母の顔も、トイレ手前から見るとくっきりはっきりとして気づかれやすいだろう。・・・どうする・・・?
私たちは無言で相談し合い、シラを切ることにした。
やっぱり今気づいても意識しながら寿司を食べるのはお互い気まずいだろう。
一歩。また一歩と同級生がトイレに近づいている。
背中の感知器を発動させる。そろそろトイレに近くなってきたであろうところで
母は真横、チェーンコンベアの上で回る寿司に顔ごと視線を移した。私も見る。
ちょうど流れてやってきた皿について言及する。
「あ~~だし巻き卵もいいかもね~」「え?」なぜ聞き取れないのだ母よ!
「・・・しのぶ、さん・・・?」
カウンターとは逆の頭の後ろから声がして、振り返るとまさしくミカが母親の顔を見つめていた。
しのぶさんとは私の母の名だ。
気づかれていた。

私たち親子は一体どんな風に映っただろう。
どんな顔をしていただろう。
たしか私の第一声が「あ! 気づいちょったがや!」だったので、
私たちが気づいていたことは気づかれたと思う。
#日記 #2022年3月
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とある平日、今日は車でホームセンターに向かっている。
昨日母から譲り受けた棚、戸の開き部分が壊れているのだ。
♪ ポンポンポンポンポンポンポンポンポンポポポーン
LINE着信音。時刻は16:00。ゆみだ。
いつもは大体15:30前後にかかってくるので今日はもうないものと思っていた。
車のカーナビに接続された、通話ボタンを押す。
「よっ!」 ゆみだ。 「こないだサー、車が壊れかけっていう話、したじゃん?」
いや、壊れかけ、ではなく壊れた、と言っていた気がする。と言うと、
「まぁ壊れかけ。まぁほぼぶっ壊れてんだけどサ! でも動くから、乗ってる。」
それはただちに乗らない方がいい。
「いや、まぁ、走るからサ! 止まるけど!」
全然車の様子が分からない。やっぱり乗らない方がいいと思う。それしか分からない。
「いやまぁそれでサ! 修理に出したら30万かかるわけ!」
思ったより安かった。しかし曰く、車は1990年代の古めのジムニーらしく、すでに19万キロも走っているらしい。「車屋さんからはエンジンを変えるといいって言われてるんだけどサ!」
・・・もう今回は私の方で話をまとめる。
~~~~~~~~~
中古でも初めて買った、ゆみには古い車への愛着があり、しかし直したところで次またいつ修理が必要になるか分からない、買い替えた方がよいのだろうか?
その思いを夫に相談したところ、夫は「買い替えに決まってる!」
しかしゆみはやはりどちらかというと(前回①の白壁同様)、
現在の車への愛が強かったのだろう。
夫とケンカになり、その夜はもう話をうやむやのまま終わらせた。
そして翌日、冷静になり、やはり別の車に替えた方がよいか、と思いつつ出先から夫に電話すると
夫「いや〜、でも今の車のままでもいいがやない?気に入っちゅうがやろ?」 ってサ〜!
・・・・・・・・ただのスウィートトークだった。
「私、今からタンス直してもらってくるから!」と言って
ただちに電話を切った。

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こないだの、「家と私たち〜ゆみからの電話①」にそのまま追記です
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~追記①
「そんなお前はさ、何か悩みとか、ないわけ?」
自分ばかり、かつ壁の話ばかりして悪いと思ったのか、
それでも私は改めて「何か、ある?」と聞いてもらえる機会なんて
久しくなかったからうれしくなり、なんとか探して話し出す。
-- 今度ね、京都に行こうかと思ってて、
それでそのときにライブを入れるか迷っててさ、
時勢的にとか、場所とかね、どう思う?
「・・・・・・・・・。」
-- ・・・? ゆみ?
「・・・・・・。」
-- ・・・・・ゆみ!!?
電話が、切れていた。
いつだって私たちの話題は尽きない。
(20分後・LINE「常にギリギリのパーセンテージだった人間だったこと忘れてたわ〜」)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~追記②
そういえば家の壁の話のくだりの最後で、
私「あっ!じゃあ同じ"守り"の考えでいいの思いついたよ!」
ゆみ「なに?」
私「もし白にしたら、自分でも簡単に塗り替えられるよ! ほらっ!
グレーだったら、あとあと、別の色にしたいと思ったとき大変やけど!」
ゆみ「・・・?」
全然ピンときてなかったな。
--原稿をチェックする友だち(ゆみ)--

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