「そういうときは運動。運動すると
いらない考えが1個1個とれていくよ。」
と言われて
ひさしぶりにプールに行った。
ほんとだ。
いっこ、いっこ、という感じではないが
わたしひたすらフォームや息つぎのことを考えている。
そして本当の気持ちが突然浮かんできた。
「カフェオレが飲みたい。」
コンビニでミックスサンドを買い、
家に帰ったら牛乳がなかったので豆乳オレを飲んだ。
(ところで濡れたままの髪で自転車に乗って風を受けた自然乾燥のほうがブローしたときよりまとまってるってどういうこと?)
2017年5月17日
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まさか2012年にもアイプチのことを書いていた。
===2012年12月6日(木)===
昨夜、電話でよっちゃんが開口一番
「ねえ、どうやったら美人になれるが?」
と聞いてきたので、考えず
「自分を美人と思うこと。」
と美人目線の答えを返すと、
「そうか。なるほど。」
純粋で優しい私の友達。
さらに話をすすめると、
よっちゃんは最近見た韓国ドラマのヒロインになりたいらしい。
ひとえ瞼のよっちゃんは
「寝る時だけ、アイプチ(糊を使い強制的に瞼を二重にするグッズ)しようかな・・・」
とつぶやき、
「職場でもしたら?」という私の提案には
「それは恥ずかしくてできん!!!」と猛反発、
最終的に彼女は
「仕事をやめて本格的にがんばる。」
と言った。
事の重要さは本人が決める。
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「ぼく、かけっこで一番だったの。」
と、おんちゃん(5歳)は言う。
「すみれ組はとうやくんで、こすもすはみきちゃん、たんぽこではぼくが一番だった。」
所属しているクラス名らしい。
すみれ、こすもす、たんぽこ。
おんちゃんの組だけ、"たぬき感"がただよう。
「直してほしくないねん。」
と母の敦子さんは微笑む。
◆ 敦子さんの鳥
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==(前回・幼少期編)==
ナースの友人がさわがしい。
「師長さんが、アイプチをしてきた!!!!」と言っている。
職場の人には言えなかったために私に連絡をしてきたらしい。
「わたし、夜勤明けやったがやけど、師長さん日勤やって、入れ替わりで会ってよ、そしたら! アイプチしちょったがってえ! 昨日までしてなかったのにで!? しかも怒っちょってよ! まあ業務上の、私には関係ないことやけど、そんなことより、わたし『え! 目!』と思ってえ! しかも他にも二人はべらかして話しよったがやけど、その人らあは気づいてなさそうやったしい!」
彼女曰く、その師長さんは"重度のひとえ"らしい。
それが二重になってきたら、
「さすがに気づくろ。」
そう言うと、彼女は、
「二重の人は人の目をそんなに気にしてないがってえ!」と豪語した。
そんなことを議論していたらさらに不毛な会話が増えそうだったので、渋々スルー。
それよりなにより、私にはわからなかった。
「そりゃ少しは驚くろうけど、驚きすぎじゃない? なんで?」
「!!!!!!!!!!」
ナースの彼女は「とし。」と言って、
「20代の子がやるなら分かるけど50歳の人が、
一体どういうきっかけで、どういう動機で、アイプチをするのか、
しかもそれを職場にしてくるなんて、気になるやん!」と言った。
それでも盛り上がらない私を「人選ミス。」と非難し、最終的に彼女は「わたしは、職場の誰よりも、師長さんの気持ちがわかる!!」
と叫んだ。
よっちゃんは一重であるがゆえに師長さんの気持ちがわかり、私もほぼ一重であるがゆえによっちゃんの気持ちがわかる。
「うらやましいがやろ。」
よっちゃんは今までも、今も二重になりたいと思っているのだ。
だけど人前でアイプチをすることに勇気がもてず、
夜、家の中だけでアイプチ(彼女曰く"コソ練")をしていた時期もあったが、
瞼にシワができそう、という理由でやめ、
でも今も憧れているのだ。その二重に、堂々と糊の力で近づいた師長さんを見て人並み以上に驚いたのだと思う。そんな彼女を少しでもなだめるべく、
「でもほら、今は昔より、アイプチはメイク感覚で認識されちゅうやん。」と声をかけた。そうだ、
私たちが高校生のころ、アイプチで二重に成り上がった一重には、どちらかというと「裏口入学/不正」みたいな雰囲気があった。
そう言うと初めてよっちゃんは落ち着いて、
「そうやね、確かに今はアイプチがメイクっていう認識が広まったね。」
と同じことを言った。
そしてよっちゃんは私が奥二重であることを今も認めてくれない。
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写真の中の父の目は一重(ひとえ)だ。
母はパッチリ二重(ふたえ)。
私は一重で産まれた。
小さいころ、目が小さいことを恥ずかしく思ったことがあった。
しかし二重の母から、「お母さんも小さい頃は目が小さかったけれど
大人になるにつれ、目が大きくなって二重になった」と聞き、
わたしは気に病むことをやめた。
小1、小2、小3、小4、小5、小6、中1、中2、中3、高1、、
わたしはすくすくと育った。
しかし高2になったある雨の日、ふと気になって
車で学校まで送ってくれていた母に、たずねてみたのだ。
「お母さんって、なんで二重になったが?」
「え? アイプチ。」
けなげなハートは雨と一緒にワイパーで飛んだ。
幼い私に優しい母のついたウソを信じ続けた数年間。
それでもまあいいかと思ったけど知らなかったおかんのアイプチの歴史を知りびっくりした。
現在、大人のわたしはやや奥二重だ。
少女時代から思春期にかけて、
大人になれば二重になると信じていた気持ちがそうさせたと信じている。
(アイプチの話、続きます。)
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リリー・フランキーさんの講演を聞きに湘南台まで行って
帰りにハナエとサイゼリヤで赤ワインを飲んだ足取りで
そのまま江の島まで電車に乗ってみた。
夜の江ノ島はなんだか廃れた後みたいで海はやっぱり海だった。
マックの100円ソフトを食べながら歩いたら、風が強くて寒くなった。
横にいっぱい角材が落っこってたから1本白いのを拾って海ぎわまで歩いてみた。
戻るとき、砂に1本、その角材で線をひいて歩いた。
コンクリートのとこまで歩いて、ふり返って見て、なんだか、これでいいのだ と思った。
なぜかまた湘南台で降りてしまったがために終電を逃す。
終電の車内で声をかけられた。會ちゃんだった。
一度はここに浜がいるわけはない、と思って通り過ぎたそうだけど、
二度目に見て確信をもち、声をかけてくれた。
野球帰りの會ちゃんは「一度は新庄を見ろ」と言っていた。
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この現代、世の中には色々と便利なカードがある。
最初の記憶が「suica」だ。
もはや説明の必要もないかもしれないが、電車の改札で便利なカードである。
カードにお金を入金(チャージ)しておいて、改札機のある部分にそのカードをピタッとすればゲートが開き、 〜〜中略〜〜 他にも、効能は色々あるらしいが、ここでは略させていただく。
今回私がふれたいのはそういったカードの「名称」についてなのである。
「suica」。
はじめてその名を耳にした時、
聞き慣れない言葉に胸が高鳴り、自然と由来を考えた。
「おそらくスイスイっといけるってことだろうな。」と推考し、
満足して一息ついたころ、
現れたのが、「PASMO」だ。
これは当時、限定なのかレアなのかよく分からないが、
これを買うためにたくさんの人がどこぞの窓口に殺到したのを記憶している。
あ、それはそうと名前。
これは「電車もバスも」のお尻の部分だけとってきてちょっとお洒落にしといた、のだろうと想像した。
お次は、関西だ。
関西で生まれたカードの名は「ICOCA」だ。
これはもうそのまま関西のノリだろう、「ほな行こかっ」とできたのだろう。
(今インターネットで調べたら、カード全てに、略す以前の難しい横文字の名前が存在しているらしいが、それは興味ある人だけ調べてください。)
続きまして、私が数ヶ月間だけ暮らした福岡。
ここにも便利カードがあった。
手にしたカードの名前は「nimoca」。
これは「電車にも、バスにも、使えるのか!!」という驚きを表現していると思っていたんだが、調べたところ「バスにも、電車にも、買物にも、いろいろ使えるオールラウンドなカード」ということらしい。最後のcaは驚きの語尾ではなくカードのca、ちょっと遠かった。
そして、話は故郷へと辿り着く。
私の生まれ育った高知でも、電子カードリクエストが高まったのか、
乗り物のための便利カードが誕生していた。
高知県で人が「電車」と呼べばつまり
「チンチン電車(=路面電車)」のことを指している。
それに比べてJRの利用者は限られるため、JR電車は「汽車」と呼ばれる。
勿論、シュッシュッポッポと音を出しては走らないけど、
そんなひと呼吸もふた呼吸も遅れた高知でも、便利カードが誕生していたのだ。
これはすごいことである。
それを知ったのは、飲みに行った帰り。
高校時代の担任の先生に満腹ご馳走になり、
2人で電車(つまりは路面電車)に乗る際、
見慣れた乗車口に見慣れぬ乗車リーダーが備え付けられており私は息をのんだ。
まさか!ここに!タッチするところが!!?
すると先生は普段しゃきっとしている背中を一層のばしカードをピッとやった。
先生!買ったんですか!? と聞くと、
「そうや。いいやろう。」
先生は今まで見たこともないくらい得意気な様子で言った。
そ、そのカードの名前何ですか・・・?
私はどこにいても興味を抱き、由来に思い馳せてきたカードの名称を、
故郷のカードの名称を、
息をのんで待った。
すると先生は 「ですか。」 と言った。
え?なんですか? 、聞き返した。
「だから!ですか!や!」
先生は確実にイラッとして言った。
え?ですか?
なんですか?
勝手に頭の中がクエスチョン形式になる。
『ですか』、それが高知で生まれたお洒落で画期的なカードの名称なのである。
なんでそんなに不安気なんだ。
それはどこからきたんだ。
「これでいいんですか?」
「これはこの電車で使えるんですか?」
「ここにタッチしたらいいんですか?」
「このカードはですかですか?」
なんとか名称の起源をたどろうとするも、
確実に語尾に?がついてしまう。逃げられない。
しかもやっぱり不安気。
無理して最後に「そうですか!」 と考えてみても、
今度はなんか傲慢な感じもする。
そんなカードの名前聞いたこともない。
せっかく作ったのに、こんなに不安定なんて、そしてひらがななんて。
路面電車は揺れている。
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敦子さんとは京都で暮らしていたとき、コンテンポラリーダンスのワークショップで出会った。
他の人たちが頭で考えながら踊っているなか、
敦子さんの踊りは何かを手放してるみたいに見えた。
その他、敦子さんについて知っていることといえば、
昔パンクバンドのベースをやっていたことがあること、
京都出身であること、
美術だか芸術だか情報だかに関係する大学に言っていたこと、
結婚して初めて東京に暮らしはじめたこと、
息子さんがいること、
漫画に詳しいこと、など。
土曜日、敦子さんの家に遊びに行った。
遊びに行くのは半年ぶりなのに、当日の誘いにも関わらず、
敦子さんは手ぶらで靴下も履いていない私に羊羹を出してくれた。
羊羹を食べていると
「どう?この皿」と、
まだ真ん中が羊かんで埋まっている皿の感想を求められた。
真ん中の部分が羊羹で埋まっているけれど、そこには大きく鳥(たぶん鶏)が書かれている。
「あっ・・・! いいですね」慌てたために雑な返答になってしまった。
「おとんが作ったん」
そうだ、敦子さん家のお父さんは陶器でアクセサリーらしきものとか色々つくる人だった。
「かわいいですね」あらためて言うと、
「まだあるで」敦子さんは同じサイズの皿を5~6枚かさねて持ってきた。
ふちどりが描かれているものもあればないのもあった。
真ん中に鶏がいるというところは全部一緒だけど、それぞれ大きさも色加減も、鳥の形・表情も絶妙に全部ちがう。
わたしはその中の、ふちどりのない皿の一枚に特に惹かれた。
「売ってんで」と敦子さんは言った。
「もしかして、これも売ってくれるんですか?」気になっていた一枚を指して言うと、
「ええで」
数分で、とても満足できる値段でステキなお皿が手に入ることになった。
俄然うれしく羊羹を食べた。
しばらくして、それぞれの話をして、またお皿の話に戻ったとき、
敦子さんは私の買うことになったお皿を指して言った。
「はまちゃん、わたし、これが一番好き。」
笑った。
一回売ると言ったものを、そう言ってみればこれが一番好きかもしれないと思って、
「わたしはこれが一番好き」とすべてを回収する。
そんな敦子さんと、これからも友だちでいたいと思った。
(1年越しにようやく購入した皿。
買うともれなく写真を撮られた(お父さんにどんな人が買ったか送るらしい))
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わたしたちは天気で予定を決めてしまうような
のらりくらりしたところがあるから、
片方が今暇? というときもう片方がなにかしら仕事をしていたり、
片方が今日お茶しよう。というときもう片方が寝ていたりで、
とにかく間延び+間延びでひと月が経ったころ、
いい加減「決める」ことが大切だと気づき、
28日にしようと決めた。
====================
遊ぶ、、、
お茶でもなく、呑むでもなく、
大の大人同士がいざ遊ぼうとなると、
はて、何をしたらよいのやら、
いまいち分からなくなって、
ひとまずメッセージなどやりとりする。
【浅野】
明日はわたし一日中あいてます!
わーお! 何して遊ぼうねえ、、。
ハマーは一日あいてる?
何しようか!明日は晴れっぽいからドライビンしちゃう?
でもわたし運転できないからハマーに任せちゃうことになるが…
わたしは1日融通ききますよー
あさの、さてはドライブしたいがやね!
都内からドライブってどこに行くのがいいかねぇ、、
わからんのよねえ、、
ドライブじゃなくてもいいのよー
ちょっと待ってー、何かあるか考えてみるワー!
うぃー!
ドライブがよければ適当にどこか決めていくのもいいし、
マザー牧場(千葉)っていうところもみつけたよ。
あるいはどこかの町で集合してぶらぶら散策するとかも楽しそうやし、、
何か二人で作ったりするのも楽しいね、紙芝居とか。
紙芝居つくるのすごい楽しそうじゃん。 それにしようよ
車じゃなくていいが?
ぜんぜんいいよ
そりゃ自分から言ってみたことだけどさ、
わたしは自分でも「紙芝居」と入力しながら
はっ、何を言ってるんだろうと思っていたし、
てっきりスルーされるものだろうと思って、
いや、もし仮に、万一ね、紙芝居が採用されるにしても、
大の大人2人の1日があいているのだ、
「お出かけ」というカテゴリは捨てがたいだろと思って、
「 高尾山へ行って、頂上で紙芝居をつくる 」
という合体策も提案してみたが、
「どちらか(のんびり高尾山か、 のんびり紙芝居)しか無理」
とのことで、
メッセージがわずらわしくなった私は☎︎をかけた。
-- 本当のところ、一番したいのはなに?
-- ドライブの欲求は、満たさなくて大丈夫なの?
-- どこか、行ったりしなくていいの?
-- ほんとうは何が一番したいの?
浅野の答えは全部「紙芝居がしたい」のひとつだった。
*******
9月28日(すいようび)
13:00。
わたしたちは浅野の家の最寄駅で落ち合い、
500円の和風カレーを食べたあと世界堂へと足を運んだ。
世界堂は広い。
さすが世界というだけのことはある。
日常ではなかなか目にしない、いろいろなものが置いてある。トルソーとか。
しかしそんな中にあっても浅野の歩みには迷いがなかった。
浅野の足は、紙芝居の画用紙を求め、紙芝居を描くための水彩絵具を求めていた。
(だけどその手の指先は、
「あっ絵の具あったよ!」
とさせば油絵用だったし、
「あっ水彩絵の具コーナーあったよ!」
とさせばアクリル絵具だった。
「え、アクリルって水彩じゃないの?」
うん、ちがう。アクリルは水彩とちがう。
だけど「どう違うの?」と真摯な表情で聞かれても、それはあまりに唐突な質問で、
「油絵と水彩の間だよ。」
というデタラメな答えしか返せなかった。)
世界を旅したわたしたちは、一度現実的になり、
今日1日の紙芝居だけのために一体どこで/なにを買うべきかを考えた。
そして2人は背中を丸めて100円◯一の店で、
画用紙と絵の具と筆を、合わせて540円で買ったわけだ。
14:30。
物語は浅野が考えて、
絵は私が描き、
色つけは2人で(最終的に浅野が)やることになった。
「主人公は?」
物語を考えはじめた浅野に聞かれて
「男子。20代か30代の。」
と答え、
「その他の登場人物は?」
と聞かれて
「喫茶店の主人と犬。」
と答えると
「猫でもいい?」
と聞かれたので
「いいよ。」
と答えた。
浅野は猫が飼いたいらしい。
それから浅野が好きな絵本の話をしてくれた、
「ある日、ジジ・ジャン・ボウ(主人公)は起きたらおったまげた。
おちん◯んが長ーくなって、
町中におちん◯んがのびてたって話。」
「それは大変だね。」
「うん。(紙芝居も)それはどう?」
「いいけど、30代男性のおちん◯んとなると、
いやな顔する人も出てくるだろうね、街に」
と答えると、浅野も納得してくれたようで、
結局、浅野がいつか途中までメモに書いていたという
『しじみおじさん』
の話になった。
14:00頃から開始された紙芝居制作は、
途中、浅野の家にあった東京03のDVD鑑賞をはさみつつ、
終了したのは19:00近くだった。
(浅野はそのあとも、色塗りの作業を継続してやったらしい。)
けっこう疲れた。
で、この紙芝居、いったいどうしたらいいんだろ。
===================
ところでいつか浅野は●こんなこと●を書いてくれている。
また遊べて良かった。
また遊ぼ。
[ 物語を真剣にかんがえる浅野とプリンを1滴も残さず食べようとする浜口 ]
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(2016年2月)
熱海に行った。
家族旅行だ。
道中見つけた、くらげみたいな雲。
集合時間の3時間前につき、
商店街まわりをぶらぶら。
熱海に来てカツカレーを食べるというのは、
なかなかに「オツ」的なことなのではないか。
そもそもオツって何だ。
わたしの新明解には、「オーソドックスではないが、それなりの趣が見られる様子」とあった。そういうことだ。よかろうもん。
梅まつり@熱海梅園にも行く。
雨傘300円が妥当な値段。
やっぱり花より木とか草のほうが好きだと実感。
でも30歳年上の女性が、
「この年になって初めて花がきれいやと思うようになってきた」と言っていたから、
わたしも年齢とともに目覚める(開花する)のかもしれない。
市街地までの坂道をくだる。
道中にあったガチャガチャで、これをゲット。
「防災時によさそう」とか強がりを言ったが、
そのためには四六時中つけておく必要がありそうだ。
00いったいなにに憧れて、なにをめざしたんだろう00
旅館についたときにはぱらついていた雨が止み、虹が出ていた。
出ているところが見えるような虹なんて初めてかもしれない。
それはもう片方でも同じことで、
だけど虹は、
どちらがはじまりやおわりかはまったくもって分からないんだなあと思った。
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