先月、山梨に行ってきました。レコーディングです。

駅の南口で待っていて、と言われていた。
山梨までバスで着いて、降りた広いロータリーが南口だろうと思いこんでいたら逆だった。
こういう迷いのない思い込みってどうしたらいいのか。
今回もレコーディングエンジニアをお願いする玄さんが、駅まで車で迎えに来てくれていた。
まずはお昼ご飯を食べようということになっていて、
「うどんか寿司かカレー、どれがいい?」
と聞かれて、さっきまで「うどん」と思っていたのに口から出たのは「寿司」だった。
寿司屋に向かいながら、玄さんがその店の紹介を運転席からしてくれる。
「よく行くところでさ、息子さんと知り合いなんだけど、
すぐにはお店を継がずに一回違うところで働いて、戻ってきたんだよね。」
しかもその1回働いたというのが寿司屋ではなく、ケータリングを中心に新しい調味料の製造をしたり素材と季節を意識しながらの料理をつくるとかとにかく新しい可能性を感じさせるところだったのが、なおさらいいなと思った。好感。
そうして辿りついた寿司屋は昔ながらの趣で、
美しいツヤのかかった一枚板のカウンターは分厚く、
明るく玄さんと挨拶を交わしている大将の顔からもカウンターの木と同じような重ねてきた年月とこだわりが感じられた。
そこに息子さんらしき人が現れた。
笑顔でしそジュースを持っている。サービス品だ。
飲んだら、すごく美味しかった。
でも、こんな立派なお寿司やさんで、こんな立派なしそジュース、よろしいんですか?
そう思って顔を上げると、息子さんがメガネをかけていることに気づいた。
おしゃれな丸いやつ。
おしゃれなメガネをかけている人を見たとき、私は必ず確認することがある。
レンズがついているか、ついてないかだ。
息子さんは、「ない」に該当する人だった。
寿司屋の大将の息子さんのメガネにはレンズがなかった。
つまり、おしゃれだ。
それについての対応も対策もわからず、
顔をふせたところにちょうどお寿司が運ばれてきて、
一口ほおばるとすんごく美味しかった。
美味しい!
と思ってまた顔を上げると、また息子さんの顔があった。
するとそのメガネの、新しいポイントに気づいた。
針金でできていた。
寿司屋の息子さんのレンズのないメガネは、針金でできていた。
わたしは寿司に集中することにした。
わたしのしっているところを超えている。
【 おまけ 】
山梨の町内放送。さすが盆地。
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鎌倉に行ったら、駅前で栗山に会った。
「俺、医者に缶ビール止められてるんだ。」
と言いながら栗山は缶ビールを片手に歩いていた。
読んでいる本の続きを買いに本屋に向かっているというので着いてゆくことにした。
西口の本屋になかったから、東口の本屋へ。
本屋で栗山は3冊もの文庫本を片手に「あった!」と言っていた。
そして「俺さ〜、やっちゃってさ〜!
家にあった1巻を読んで、面白いと思って新しいのを買ったら、どうやらそれが最終巻だったらしくてさ!上杉謙信の親のこと書いた話なんだけど、なんか上杉謙信がもう大人になって活躍してるからさ〜、おかしいなとは思ったんだけどね!それ読んじゃったから、今その間を埋めてるところ!」
と、栗山は本屋で大声で自分の読書の現状を語った。
会計を済ませ、オススメのバーもしまっていたので
わたしのリクエストにより喫茶店に行くことに。
パフェを頼もうとすると、
「パフェなら〇〇(別の店)の方がいい。ここならホットケーキを頼むべきだ。」
と栗山は言った。しかしホットケーキの密度を受け入れる空腹のないわたしはチョコレートパフェを頼む。なおも栗山は隣の席のチョコレートパフェを見て、「クラシックだからやめたほうがいいんじゃない」みたいなことを言っていた。栗山は何にするのかと思えば、季節のパフェを指さしていた。
店員が「お決まりの頃にうかがいます」と言っていたのを忘れたのか、栗山は「すいません!」と声を上げ、それでも気づかれないともう1トーン大きく太い声で「すいませーん!」と叫んだ。
わたしは『仁義なき戦い』を腕が飛んだ序盤のシーンで見るのをやめてしまったが、出てくる男性はみなこんな声で喋ると思う。喫茶店にいるすべての客が、物騒な顔で栗山のことを見ていて、「この人はこれから、桃のパフェを頼もうとしているんです」と言ってあげたかった。
栗山は本屋でも、喫茶店でも、缶ビールを手放すことはなかった。
金属アレルギーの疑いがあり、背中にぽつぽつができているという。
季節が変われば治るといいね。
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2017年5月19日、下北沢lete、
酒井泰明さん(moools)とのツーマンライブ
ありがとうございました!
終演後、帰ったはずの酒井さんから電話があり、
「さいふ、わすれてませんか?」
と言われて会場を探したら財布の入ってないカバンが見つかりました。
(財布は手元にあったそうです。)
カバンの中に入っていた将棋セットで
わたしはこれから将棋の勉強をしようと思っています。
そういえば今回のタイトルの由来を言い忘れてました。
ざっくり言うと、酒井さんの夢の欠片です!
またやりたい、「テレポー定食」。

※ わたしのリハーサル中に将棋を打つ酒井親子。
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「そういうときは運動。運動すると
いらない考えが1個1個とれていくよ。」
と言われて
ひさしぶりにプールに行った。
ほんとだ。
いっこ、いっこ、という感じではないが
わたしひたすらフォームや息つぎのことを考えている。
そして本当の気持ちが突然浮かんできた。
「カフェオレが飲みたい。」
コンビニでミックスサンドを買い、
家に帰ったら牛乳がなかったので豆乳オレを飲んだ。

(ところで濡れたままの髪で自転車に乗って風を受けた自然乾燥のほうがブローしたときよりまとまってるってどういうこと?)
2017年5月17日
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まさか2012年にもアイプチのことを書いていた。
===2012年12月6日(木)===
昨夜、電話でよっちゃんが開口一番
「ねえ、どうやったら美人になれるが?」
と聞いてきたので、考えず
「自分を美人と思うこと。」
と美人目線の答えを返すと、
「そうか。なるほど。」
純粋で優しい私の友達。
さらに話をすすめると、
よっちゃんは最近見た韓国ドラマのヒロインになりたいらしい。
ひとえ瞼のよっちゃんは
「寝る時だけ、アイプチ(糊を使い強制的に瞼を二重にするグッズ)しようかな・・・」
とつぶやき、
「職場でもしたら?」という私の提案には
「それは恥ずかしくてできん!!!」と猛反発、
最終的に彼女は
「仕事をやめて本格的にがんばる。」
と言った。
事の重要さは本人が決める。
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「ぼく、かけっこで一番だったの。」
と、おんちゃん(5歳)は言う。
「すみれ組はとうやくんで、こすもすはみきちゃん、たんぽこではぼくが一番だった。」
所属しているクラス名らしい。
すみれ、こすもす、たんぽこ。
おんちゃんの組だけ、"たぬき感"がただよう。
「直してほしくないねん。」
と母の敦子さんは微笑む。

◆ 敦子さんの鳥
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==(前回・幼少期編)==
ナースの友人がさわがしい。
「師長さんが、アイプチをしてきた!!!!」と言っている。
職場の人には言えなかったために私に連絡をしてきたらしい。
「わたし、夜勤明けやったがやけど、師長さん日勤やって、入れ替わりで会ってよ、そしたら! アイプチしちょったがってえ! 昨日までしてなかったのにで!? しかも怒っちょってよ! まあ業務上の、私には関係ないことやけど、そんなことより、わたし『え! 目!』と思ってえ! しかも他にも二人はべらかして話しよったがやけど、その人らあは気づいてなさそうやったしい!」
彼女曰く、その師長さんは"重度のひとえ"らしい。
それが二重になってきたら、
「さすがに気づくろ。」
そう言うと、彼女は、
「二重の人は人の目をそんなに気にしてないがってえ!」と豪語した。
そんなことを議論していたらさらに不毛な会話が増えそうだったので、渋々スルー。
それよりなにより、私にはわからなかった。
「そりゃ少しは驚くろうけど、驚きすぎじゃない? なんで?」
「!!!!!!!!!!」
ナースの彼女は「とし。」と言って、
「20代の子がやるなら分かるけど50歳の人が、
一体どういうきっかけで、どういう動機で、アイプチをするのか、
しかもそれを職場にしてくるなんて、気になるやん!」と言った。
それでも盛り上がらない私を「人選ミス。」と非難し、最終的に彼女は「わたしは、職場の誰よりも、師長さんの気持ちがわかる!!」
と叫んだ。
よっちゃんは一重であるがゆえに師長さんの気持ちがわかり、私もほぼ一重であるがゆえによっちゃんの気持ちがわかる。
「うらやましいがやろ。」
よっちゃんは今までも、今も二重になりたいと思っているのだ。
だけど人前でアイプチをすることに勇気がもてず、
夜、家の中だけでアイプチ(彼女曰く"コソ練")をしていた時期もあったが、
瞼にシワができそう、という理由でやめ、
でも今も憧れているのだ。その二重に、堂々と糊の力で近づいた師長さんを見て人並み以上に驚いたのだと思う。そんな彼女を少しでもなだめるべく、
「でもほら、今は昔より、アイプチはメイク感覚で認識されちゅうやん。」と声をかけた。そうだ、
私たちが高校生のころ、アイプチで二重に成り上がった一重には、どちらかというと「裏口入学/不正」みたいな雰囲気があった。
そう言うと初めてよっちゃんは落ち着いて、
「そうやね、確かに今はアイプチがメイクっていう認識が広まったね。」
と同じことを言った。
そしてよっちゃんは私が奥二重であることを今も認めてくれない。
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写真の中の父の目は一重(ひとえ)だ。
母はパッチリ二重(ふたえ)。
私は一重で産まれた。
小さいころ、目が小さいことを恥ずかしく思ったことがあった。
しかし二重の母から、「お母さんも小さい頃は目が小さかったけれど
大人になるにつれ、目が大きくなって二重になった」と聞き、
わたしは気に病むことをやめた。
小1、小2、小3、小4、小5、小6、中1、中2、中3、高1、、
わたしはすくすくと育った。
しかし高2になったある雨の日、ふと気になって
車で学校まで送ってくれていた母に、たずねてみたのだ。
「お母さんって、なんで二重になったが?」
「え? アイプチ。」
けなげなハートは雨と一緒にワイパーで飛んだ。
幼い私に優しい母のついたウソを信じ続けた数年間。
それでもまあいいかと思ったけど知らなかったおかんのアイプチの歴史を知りびっくりした。
現在、大人のわたしはやや奥二重だ。
少女時代から思春期にかけて、
大人になれば二重になると信じていた気持ちがそうさせたと信じている。

(アイプチの話、続きます。)
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リリー・フランキーさんの講演を聞きに湘南台まで行って
帰りにハナエとサイゼリヤで赤ワインを飲んだ足取りで
そのまま江の島まで電車に乗ってみた。
夜の江ノ島はなんだか廃れた後みたいで海はやっぱり海だった。
マックの100円ソフトを食べながら歩いたら、風が強くて寒くなった。
横にいっぱい角材が落っこってたから1本白いのを拾って海ぎわまで歩いてみた。
戻るとき、砂に1本、その角材で線をひいて歩いた。
コンクリートのとこまで歩いて、ふり返って見て、なんだか、これでいいのだ と思った。
なぜかまた湘南台で降りてしまったがために終電を逃す。
終電の車内で声をかけられた。會ちゃんだった。
一度はここに浜がいるわけはない、と思って通り過ぎたそうだけど、
二度目に見て確信をもち、声をかけてくれた。
野球帰りの會ちゃんは「一度は新庄を見ろ」と言っていた。
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この現代、世の中には色々と便利なカードがある。
最初の記憶が「suica」だ。
もはや説明の必要もないかもしれないが、電車の改札で便利なカードである。
カードにお金を入金(チャージ)しておいて、改札機のある部分にそのカードをピタッとすればゲートが開き、 〜〜中略〜〜 他にも、効能は色々あるらしいが、ここでは略させていただく。
今回私がふれたいのはそういったカードの「名称」についてなのである。
「suica」。
はじめてその名を耳にした時、
聞き慣れない言葉に胸が高鳴り、自然と由来を考えた。
「おそらくスイスイっといけるってことだろうな。」と推考し、
満足して一息ついたころ、
現れたのが、「PASMO」だ。
これは当時、限定なのかレアなのかよく分からないが、
これを買うためにたくさんの人がどこぞの窓口に殺到したのを記憶している。
あ、それはそうと名前。
これは「電車もバスも」のお尻の部分だけとってきてちょっとお洒落にしといた、のだろうと想像した。
お次は、関西だ。
関西で生まれたカードの名は「ICOCA」だ。
これはもうそのまま関西のノリだろう、「ほな行こかっ」とできたのだろう。
(今インターネットで調べたら、カード全てに、略す以前の難しい横文字の名前が存在しているらしいが、それは興味ある人だけ調べてください。)
続きまして、私が数ヶ月間だけ暮らした福岡。
ここにも便利カードがあった。
手にしたカードの名前は「nimoca」。
これは「電車にも、バスにも、使えるのか!!」という驚きを表現していると思っていたんだが、調べたところ「バスにも、電車にも、買物にも、いろいろ使えるオールラウンドなカード」ということらしい。最後のcaは驚きの語尾ではなくカードのca、ちょっと遠かった。
そして、話は故郷へと辿り着く。
私の生まれ育った高知でも、電子カードリクエストが高まったのか、
乗り物のための便利カードが誕生していた。
高知県で人が「電車」と呼べばつまり
「チンチン電車(=路面電車)」のことを指している。
それに比べてJRの利用者は限られるため、JR電車は「汽車」と呼ばれる。
勿論、シュッシュッポッポと音を出しては走らないけど、
そんなひと呼吸もふた呼吸も遅れた高知でも、便利カードが誕生していたのだ。
これはすごいことである。
それを知ったのは、飲みに行った帰り。
高校時代の担任の先生に満腹ご馳走になり、
2人で電車(つまりは路面電車)に乗る際、
見慣れた乗車口に見慣れぬ乗車リーダーが備え付けられており私は息をのんだ。
まさか!ここに!タッチするところが!!?
すると先生は普段しゃきっとしている背中を一層のばしカードをピッとやった。
先生!買ったんですか!? と聞くと、
「そうや。いいやろう。」
先生は今まで見たこともないくらい得意気な様子で言った。
そ、そのカードの名前何ですか・・・?
私はどこにいても興味を抱き、由来に思い馳せてきたカードの名称を、
故郷のカードの名称を、
息をのんで待った。
すると先生は 「ですか。」 と言った。
え?なんですか? 、聞き返した。
「だから!ですか!や!」
先生は確実にイラッとして言った。
え?ですか?
なんですか?
勝手に頭の中がクエスチョン形式になる。
『ですか』、それが高知で生まれたお洒落で画期的なカードの名称なのである。
なんでそんなに不安気なんだ。
それはどこからきたんだ。
「これでいいんですか?」
「これはこの電車で使えるんですか?」
「ここにタッチしたらいいんですか?」
「このカードはですかですか?」
なんとか名称の起源をたどろうとするも、
確実に語尾に?がついてしまう。逃げられない。
しかもやっぱり不安気。
無理して最後に「そうですか!」 と考えてみても、
今度はなんか傲慢な感じもする。
そんなカードの名前聞いたこともない。
せっかく作ったのに、こんなに不安定なんて、そしてひらがななんて。
路面電車は揺れている。
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