水曜日と日曜日が休みのまやちゃんに、
日曜日、電話をかけた。
今日誰とも話してなかったからうれしい
とまやちゃんは言った。
そんなこと言ってもらえたら私もうれしい
3分くらい、褒められたいということについての話をした。
その後はまやちゃんがダイソーってやばいという話をした。
ウォークマンを聞きながら100均の下の棚を見て、
立ち上がったらめまいがして、
死ぬかも、と思った。とまやちゃんは言った。
死にそう、ということじゃなくて、
死ぬ可能性があるんだということを思ったんだって。
ダイソーこえー
とまやちゃんは言った。
まやちゃんと話すと頭が動くから私は好き。
1時間くらい後、
お互いのことを褒め合うメールを届けあってから眠った。
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100円のものすべてに名前をつけて
100円のものにはすべて名前をつけて
全て呼んだら安心だから 私は眠るから
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私はハリキッていた。
心から嬉しい恋人ができて、
一人暮らしのその人の家で正月を迎えることになり、
おせちをつくろうとハリキッていた。
12月のうちから"簡単につくれる"おせちの本を何冊か図書館で借り、
品定めを重ね、厳選した1冊を旅行カバンに入れ、東京に向かった。
結果、12月31日も1月1日も2日も私はおせちをつくっていた。
彼は怒っていた。
いや、怒りを通り越して少し呆れていた。
「おせちを作るんだっ!」と嬉しそうに宣言していたものだから彼もてっきり、すぐ出来上がるものだと思っていたらしい。でも私もここまで時間がかかるとは思っていなかった。その証拠に私はおせちを12月31日の夕方からつくり始めている。一人の人間が、鶴の恩返しのように扉を閉め、キッチンから1歩も出てこず、ずっと何かをやっている。一食につきおよそ2品ずつ増えるものの、待てど暮らせど全貌を見せないおせちの姿。
夜も、朝も、私はキッチンにいた。
私が寝ている間に彼はキッチンを片づけていた。
彼が寝ている間、私はおせちをつくっていた。
結果、1月2日の昼ごろ、彼は怒りはじめた。
「もうちょっと、段取りとか、考えたら!?」
「ひとつひとつ、片づけるとかさあ!」
「もちろんおせちをつくってくれるのは嬉しいけどっ!」
「こんなに時間かかるならいくつかつくってから来るとかさぁ!」
私は泣いた。
新年早々、おせちを原因にして涙を流す人間は、世の中に何人くらいいるんだろうか。
そんなことを考える余裕もないくらい悲しかった。
彼の言っていることは正しい。
だけど私はおせちをつくっている間も幸せだったからだ。
「もう二度とおせちはつくらないっ!!」
私は新年早々、おせちをつくらないという宣言をした。
昨月にはおせちをつくると言っていた人間がだ。それから泣いてふて寝した。
1時間後、彼のつくったカツ丼を食べた。まだ全ては完成していない何品かのおせちと一緒に。
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あれはいったい何年前のことだったのか。
私はLINEに登録した当初から自分の名前を「シークレットひろこ」と登録した。
そのあと新しい人と"友だち"になると時々「どうしてシークレットなんですか?」と聞かれた。
私は嘘をつかず「限られた人としかやりとりしないツールだと予想して。」と答えた。
私の予想を大きく裏切ってLINEは見事にメジャーなツールと成り果てた。
時は2020年。
正直「LINEがこんなに使われるとは、」などと答えたところで、生まれたときから携帯があったみたいな人からしたら屁にもならない答えのようだった。
挙句、"シークレットさん"というまるで学校の怪談みたいなあだ名で呼ばれることもあった。
たしかに、こんなにメールアドレスより電話番号より住所より「LINEやってます?」と交換される公の場所で「シークレット。」などとほざくのは、自分を特別な存在だと豪語しているに等しい。不本意だが、あだ名にされたって文句は言えない。何がシークレットか、恥を知れ。
私は、シークレットをやめることにした。
何も隠していることはないのだから。
だが、やはり登録当初から抱いていた不信感はぬぐえない。
「インターネット上のアプリケーション上で、本名を明かして、大丈夫なのか?」
個人情報に関する懐が昭和の名残を残している。
ずいぶんとゆるくはなったが、開けっぴろげではない。
まあ、あとはせっかくのアプリ上の名前なのだから軽くライトにいたいという希望もあって、先日見たファンタジー映画で魔法動物の世話をしている女性の名前をつけた。
「バンティひろこ」
それはそれで、「なんでバンティなのか」と従来の友人から問い合わせがくる。
だけど問い合わせがくるのはもう友達になっている今までの友達なのだから
「いいでしょう。」と言って軽く流す。
LINE上の会話だからだ。
↑ こちらは、Youtubeのhamaguchihirokoチャンネル、 ↑
「くみさん、映画の話を聞かせてください」(2−4)
で放送した画像を再利用しました。
手抜きです、ごめんなさい。
でもバンティさんもこの映画に出てくるんです。
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夢でバスケ、ドリブルしながら走るんだけどまったく早く走れず、敵からボールうばって走ろうと振り返ったらガラ空き、チャンスとばかりにドリブルで走るんだけどやはり早くない、敵追いついてきたから大またで1、2、助走つけてロングシューーーットもぜんぜん届かず、やっぱり日ごろの練習って大切だな、と思いました。夢の中で。
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笑っていいし、
ローラースケートしていいし、
マシュマロ焼いて笑っていいし、
なんかよくわからんけどおかん面白いなーって笑っていいし、
モデル風に撮っていいし、
目、つぶちゃってもいいし、
アイス食べてもいいし、
ぼーっとしてていいし、
やっぱりモデル風に足クロスさせていいし、
誕生日会開いてもいいし、
布団の上乗っていいし、
ローラースケート片方だけで笑っていいし、
ポカリスエット飲んでもいいし、
なんかよくわからんもの飲んでるのか食べてるのかしていいし、
パターゴルフしていいし、
親子でピース決めていいし、
集合写真撮ってもいいし、
パンツ丸見えでもいいし、
とにかく
みんなぜーーーんぶ持っていると思うのです。
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このコロナカのなかで、いつもはあれやこれやと引っ張りだこで連絡のとれない人と話ができたり、色んな人の新しい面が見えて新鮮だったり、それからずっと長く連絡をとっていなかった人となんとなく接触がもてたりした。
そのなかに、プロレスラーのアントーニオ本多さんがいる。
アントンさんとは、私が大学生のとき、とある劇団の芝居で共演したことがきっかけで知り合った。そうでなくともアンさん(さらに略す)は私の所属していた演劇サークルの忘年会か何かにときどき出入りもしていた。私は当時アンさんのいた武蔵野美術大学で、初めてプロレスを見た。
アントンさんのツイッターを数年前にフォローし、様子を見ていると、文章がずいぶんスピリチュアル的な要素をはらんでいることに気づいた。ヨガ、瞑想、それからユーフォー。その傾向は緊急非常事態宣言な最近とくに強くなってきており、アンさんが配信している動画のひとつではひたすら水の話をしていた。私も興味のあることもあったし、アンさんが気になっていそうなことを伝えたいという思いもあったので、久しぶりに連絡をとってみることにした。
「アンさんは、ベジタリアンなんですか?」
聞くと、そうだ、という回答が返ってきた。
「魚も食べない?」
食べないねぇ。
「米は?」
と聞くと、お米大好き、米は野菜。という返事だった。
そして豆はやはり豊富に常備してあるらしい。
ベジタリアンと聞くと気になっていることがある。
どのような調理法があるのか、おいしいのか果たしてその料理は、ということだ。
意を決してそれを尋ねると、
「わたしの料理はほぼ3種類なんです」
とアンさんは言った。
——
《以下、私のとったメモを丸写し》
【パターン①】
鍋。
入れる野菜は、人参、キャベツ、高野豆腐、生姜。だいたい味噌ベース。
【パターン②】
納豆を2~3パックと、豆腐半丁と野菜をご飯にのせる。
しょう油、酢、黒こしょう、ごま油、隠し味のはちみつをかける。
お椀の淵のほうに適当に回す感じで。
※野菜:最近はカイワレダイコンがブーム。キャベツや白菜もよい
【パターン③】
①と②のデザートとしても併用されることが多い。要はデザート。
面倒くさいときは量を増やして主食にする。
材料、
・豆乳ぐると
・バナナ
・はちみつ
・レーズン
・くるみ
・ときどききなこ
※豆乳ぐると:豆乳のヨーグルト。アンさんの肌感覚だと流行りはじめてる。スーパーに置いてる銘柄増えていた。これは多分くる
——
「・・・飽きません?」
と聞くと
「飽きないねぇ」
とアントンさんは言った。
何より健康になったらしい。
(それは数年前から行っているヨガの影響もあるのだろう。)
結果、体重が減ったらしい。
「105kgあったんだけど、今70kgぐらいじゃないかな」
アントンさんは今もプロレスラーだ。
体重が減って周囲から心配され、どうしたものかと考えている。
そして今日も朝3時に起きて1時間のヨガを行う。
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恋人の家には、とある山の上に初めて山小屋ができるまでの記録を綴った写真集があり、二人でそれを見ていた。私たちの暮らす平地から離れた、高い高い山の上で、木が運ばれたり、木が組まれたり、人が協力したり、少しずつ小屋ができ、山小屋として機能していくまでの記録。その本は、山小屋の完成に向け、あらゆる章が時期ごとに分けて区切られていた。前書きのようなプロローグを越え、序盤のページをめくり、章の題字を私はなぜか声に出して読んだ「そうめい期」。
その瞬間、恋人の顔が瞬時に硬くこわばった。「・・・れいめい期、だよ」。
“黎明期”。
今まで穏やかだった彼の顔は、困ったという文字を顔にしたらこんな風になるだろうなという表情だった。「あ、そうなんだ。れいめいって読むんだ。」もちろん私は恥ずかしかったが仕方ない。実は漢字は得意じゃないのだ。そんなこともあるだろうと思って次のページをめくった。そのあと、山小屋はいろんなことがおきながらも順調につくりあげられていった。ぶじ立派な山小屋が完成した本を閉じ、私はなにをしていたのだったか、たしかお風呂を入れに行ったのだったか、恋人は携帯を眺めていた。さらに時間が経った。ふと恋人が携帯から顔を上げ、口を開いた。
「そうめい期って間違える人、けっこういるみたいだよ。」
そうめい期とれいめい期を携帯で調べていた。
フォロー、だった。
それだけ私が恥ずかしい思いをしたと思ったのだと思う。
「そうなんだね。」と私は答えた。
今、一人で平らな家にいて、いつかの恋人の優しさを思う。
(2020年6月・書)モレスキンノート
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6月某日
喫茶店・日曜社のヨコケイから「なんか(人生)進みゆうやか〜!」と言ってもらった理由は私がメルカリを始めたから。借りていた本を返しに行き、本を入れていたエコバッグも差し上げますよと言ったが「売れるかもしれんき!」と優しく突き返された。
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今もし恋人ができても私はメルカリの話しかしないだろうから申し訳ないなと思う。
それにしてもメルカリ内のユーザー評価というものは、お互い出品者である可能性の方が高いわけで、まあ購入のみのために利用しているかつての私のような人もいるとは思うが、とにかくいつか自分も評価されるかもしれないのだからアテにはならない。
それにコメントとかも早くした方がいいらしい。社会か。
みんなそれはマメに「お取引ありがとうございました」、とか、「またご縁がありましたらよろしくお願いします」、とかやっている。こんな物と物だらけの天空の城みたいなメルカリワールドでご縁もへったくれもあるのかと思ってしまう曲がりきったへそをもつ私は絶対にまたご縁がありましたらとかいう可能性が低すぎる期待など書かない。
あとやってくるコメントは今のところ値下げ交渉だ。今のところ100パーセントの確率だ。プロフィールに「値下げはしていません(混乱してしまうため)。」とていねいに書いているのに! プロフィールを読んでほしい。ていねいに理由まで書いている。こういう、プロフィールを読まない人に限って値下げをしてくるのか。私がもし値下げしようとしたらかなり慎重になる。相手のプロフィールを隅から隅まで読んで、値下げ不可でないと確認できた場合に初めて値下げを提案する。しかも希望の額を添えると親切かもしれない。必ず「もし可能でしたら」、とか「うれしいです」、とかいう遠めからの円を描くようなふわっとした形で提案する。もちろん相手が断りやすいようにだ。断る方もつらいだろう。
昨日も値下げを請うコメントがやってきた。「初めまして〇〇(なんか横文字の名前)です。こちら少しでもお値下げは不可でございますか? ご検討お願いします」。もちろん面倒くさいなと思った。なにせプロフィールに値下げしていないと書いているからだ。マンションにも出していない、私の表札のようなものだ。はじめまして、と偽名を名乗るくらいなら、私のプロフィールを見てほしい。コメントの、否定(不可)の用語と「〜でございますか?」の語尾のセットも若干鼻についたが、“少しでも”という言葉に切実さと、もしかしたらプロフィールを読んだ上で提案しているのかもしれない。そう思った。この人にも何か理由があるのかもしれない。
夜だったし返信が面倒だったので、一晩ねかすことにした。翌日、太陽の光のなかでもう一度出品していた品(本だ)をメルカリ専用BOX(段ボールだ)から引っ張り出し、相談した。本は「50円ならいいだろう」と言ったので、800円のところを750円にすることにした。返信しようとしたらメルカリがメンテナンス中とのことでアプリを開けず、また1〜2時間後にこう返信した。
「返信が遅くなり失礼いたしました。
はじめまして。
基本的にお値下げはしていないのですが、少し前の本ということもあり、心ばかりではありますが750円ではいかがでしょうか?」このメルカリワールドでは“ご縁”という言葉同様、“はじめまして”も怪しいものだと思っているが相手が“はじめまして”と言ったら“はじめまして”と返す律儀さ、“基本的に値下げしていない”プロフィールは見たのか? というやんわりとした問いかけ、返す前にきちんと辞書で意味を調べてGOサインをもらった“心ばかりではありますが”という謙虚さがポイントだ。ひとつの返信にポイントが3つもある。すごい。
数時間後、返信がきた。「ご連絡ありがとうございます。反応がなかったので、お値下げをお願いした事で不愉快になられたのかと思いまして、他で購入してしまいました。せっかくご検討頂いたのに申し訳ありません。」最初のコメントからまだ24時間も経っていない=反応がない、になるのか。社会か。もちろんよそで買ったのはいいし、1500歩譲って“反応がない”というのも許す。でも勝手に人を不愉快に仕立て上げるのだけはやめてほしい。5万7000歩譲ってそう考えてしまったのもしょうがない。でもわざわざ私の出品しているコメント欄に不愉快風を残す事はないだろう。そんなにていねいに書くならこれでいい。
「生来せっかちなところがありまして、あなたさまからの返信を待ちきれず、他のところで購入してしまいました。お恥ずかしい限りです。メルカリという、たくさんの商品が出品されているひとつの社会のような場所で、また何か言葉や物を交わすことがあるのかそれは定かではありませんが、もしも、ご縁がありましたら、また別の品をどちらかが発見することもあるのかも、ないのかもしれません。この度はご検討をいただいて、本当にありがとうございましたとメルカリの世界の私が申しております。」
そして今回、素直にコメントを残していいなら私はこう返す。
「あなたとは友達にならないと思います。」
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悩みがある。
朝の6時台に、隣のマンションの住人が玄関の扉を開け、
数人が大きな声で行ってらっしゃいとか、
はたまた子どもが行かないでと泣き叫ぶなどを繰り広げるのだ。
それで、起きる。
平日は毎日だ。
6時台は、早いのではないだろうか?
友人・浅野に相談する。
「それは、やだねぇ。たしかに6時は非常識と言っていいかもねぇ。」
「だけど、やだって言いづらいね。行ってらっしゃいってすごく幸せな光景じゃん。」
といいつつ、浅野はふたつの案を提案してくれた。
その1、
早く起きる。
先方より早く起きる。
「早起きになっていいかもしれないよ、ハマー」
その2、行ってらっしゃいと言う。
そちらの朝の放たれる大きな音によって起きてしまっていますよ、
やめてほしいですよ、ということをアピールするため、
行ってらっしゃいの儀式が行なわれているときに私も玄関から顔を出して行ってらっしゃいという。
「3日くらい続けたらやばい人だと思われて、こそこそしてくれるかもよ?」
ふむ。
その1に関して。
私もその案を考えてはいたが、改めて友人が提案してくれるとなんだか底知れない喜びを感じた。
その2に関して。
これは、問題がある。まず、起き抜けにそれほどの瞬発力がないこと。
主に子どもの声で目を覚まし、事態を把握するのに数秒。それからベッドから身体を起こすのにおそらく1分近くかかる。そして立ち上がり、玄関まで行って扉を開き行ってらっしゃいを言う。その頃にはお父さんだか誰かはすでに駐車場あたりまで辿り着いているか、車のドアに手をかけているか、少なくとも隣の玄関周りには誰もいないだろう。私は幻の存在に行ってらっしゃいを言う奇妙なフェアリーとしてマンション史に名を残す。
その2についてはもうひとつ、問題がある。
仮に私の行ってらっしゃいが間に合った場合、
見知らぬ人から行ってらっしゃいを言われたお父さんはきっと戸惑うだろう。
髪がボサボサで、上の服を下のズボンにインした形でパジャマを着こなす名前さえ知らない女に恐怖すら覚えるかもしれない。
それでも……、「行ってきます。」と言うと思うのだ。彼は。
あまりのとっさの出来事には、習慣が勝ると思うのだ。
いかに見ず知らずの、あやしく、初対面の人間であろうと、
「行ってらっしゃい!」と突然言われたからにはこう返すと思うのだ、
「行ってきます。」。私はその(私から見ても)見ず知らずの男性から恐怖あるいは戸惑いの表情を浮かべながら行ってきますと言われるのが極端にいやだ。すごくいやだ。予想するだけでいやだ。
今、5時半に起きている。
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5月の日記から抜粋の5月◯日
昨日の夜に思いついて、木曜日しか販売していないロールケーキを買いに行くことにした。マスクをつくってくれた友人に、お礼もかねて「ロールケーキ買っていくよ」と連絡した。店は12時〜、駐車場がないこともあって11時55分を目指してついたら長蛇の列。ロールケーキを求めて、ロールを描きそうな人の列。20分並んだが、7〜8人先の人で売り切れる。「売り切れたわ〜」という誰かの声で気づく(本を読んでいたため)。結果、ただ手ぶらで友人の家に行く。やはり人から淹れてもらったカフェオレは美味しく、おかわりを求めた。
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『本を読んだ友だち』
「ロールケーキ、買えんかった・・・」無念の電話を、ロールケーキ屋の前からかける。「えっ、そうながや、全然いいで!」と友人はへっちゃら。そりゃそうか、私が勝手に思いついて、私が勝手にもちかけた計画だ。「どうしよう、」当初の目的"ロールケーキを買って持って行く"がなくなった今、もう帰ろうかと思う。友人「私はどちらでも!」そりゃそうだ、(以下リピート)。「でも、」と友人は言う。「ちょうど私もひろじに会いたいと思いよったがよね〜。喋りたいことがあって。」
その"喋りたいこと"は何か聞くと、
読み終わったばかりの本の感想なのだった。
西加奈子・著『サラバ!』
2014年11月3日に刊行され、その当時に私も読んだ本を、
今読み終えた友人が感想を話したいと言っている。
手ぶらだがなんとなく行くことにした。電話でもいいような気もするが、友人の声からは直接でないといけないような切迫した空気を感じた。
たどり着いた友人の住むマンションの号数が思い出せず、
私は2つに絞った候補の家の前で匂いを嗅ぎ、
こちらだと思った方のピンポンを押した。
すると部屋着+メガネの、オフスタイルのよっちゃんが扉を開いた。
私が座布団の上に座ると同時にはじまったその感想は、
一言で言うと、熱かった。
「なんか、、なに!?」
「ほんとに、すごいなと思った!」
「なんかね~とにかくね~ひろじに言いたい!」
「途中までは主人公と同じ気持ちよねぇ!」
「あなたの買った家だよ!?」
「なんでそんなに許せるのか、みたいな感じやって。」
「最終まで読んだらこういう背景かとわかったがやけど、」
「なんか、対比!?」
「幸せにならんどこうと思ったこの人が何をやっても幸せやったが!」
「けんど、絶対に幸せになってやるって思ったこの人が幸せになれんかったが!」
「この、対極とか!ねぇ、すごくない!!?」
そしてその興奮を止ませようとすることもなく友人は
「西加奈子さんはいつもこういう話なが!?」
と私に問う。
・・・こういう、、って?
「こう、、割とこう、、
人間描写っていうか、日常っていうか、、!」
私は思う。
小説って大体そうなんじゃ?
「そうなんじゃ?」
あ、ごめんごめん、つい頭の中で書いた文章をそのまま口に出してしまったみたい。
「そうなんじゃ、クエスチョン!」
そうして友人は、ひとつのひらめきにたどり着く。
「私、小説読んだことないかも。」
*小説:作者の奔放な構想力によって、登場する人物の言動や彼等を取り巻く環境・風土の描写を通じ、非日常的な世界に読者を誘い込むことを目的とする散文学。(新明解国語辞典第5版より抜粋)
いや、まったく読んでいないと言ったらウソになる。
だけど思えば中高時代、よっちゃんが前のめりに読んでいたのはハリーポッターだった。
(それはよっちゃんだけじゃなかったけど。)
彼女がそれ以外の本を読んでいるのを教科書以外では見たことがない。
「私、本読んでこんかったきこんな語彙力がないがや!」
「もっと昔から本読んじょったらなんか、私、違う人生になっちょったかもしれん!!」
よっちゃんは今、小説を読み始めた。
ファンタジーより現実味を帯びた「本」に面白さを感じ始めているそうだ。
私はむしろ逆で、今こそファンタジーを求めてる。私はつづけて言った。
「学生時代、ハリーポッターも読もうと思ったけど、
途中でやめてしもうた。なんか、追えんかったがよね。」
と言うと
「ハリーを?」
とよっちゃんは言った。
私が言ったのは文章の意だったが、
友人の瞳の中にはまだ学生時代に培った魔法の火が根強く灯っているのだった。
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