敦子さんの家に行く。
引っ越してから、会うのは初めて。
いつからこっち来てたん?
と聞かれて、
6月です。
と言うと、
ちょっとあいさつに来るの遅すぎひんか?
と極道の妻みたいなことを言われる。
でもその後「言ってみたかったんや」とフォロー。
でもやっぱりその後「それにしても遅すぎるなぁ」と言ってたので
どちらかというと 言ってみたかった というよりただの本心だ。
夕方頃から公園に行くらしい。
前日から、すでにメールで「ママ友もいるで」と連絡があった、
公園に行く前にも「ママ友もいるけどどうする?」と心配してくれる。
ママ友
というのがよくわからない。
まあ自分にママ経験がないから自然なことかもしれないけど
ママ友という3文字からはなぜか明るいものを感じない。
そしてどちらかというと馴染めないであろう予感だけが強くある。
それなのに、敦子さんに、ママ友?
どうやってママ友と交流をしているのだろう?
ママ友との交流というのはどんなものなんだろう?
敦子さんはママ友に何を感じているのだろう?
「普通やで」
と敦子さんは言う。「今、起きてることを、言う。」
遊んでる子どもを眺めて、それについて喋ったり、
互いの子どもの兄弟「さいきんお兄ちゃんどうしてるん」を話したり、
あとは今日の天気のこと「今日も寒いなー」など。
今、起きてることを、言う。
敦子さんは言った。
事実、私と話しているとき、敦子さんはすごくたどたどしかった。
「え、それ、それは、それ、とは?」
みたいな感じ。語尾が「とは?」
なにか高度な数式の解答を求められているのかと思った。
「いや、人と話すん久しぶりやからさ。」
と敦子さんはママ友を除外して言った。
いざ公園に行くとなったとき、
ママ友は何人?
聞くと
「最近1人増えてん。
3人になった。」
と敦子さんは言った。
敦子さんを入れて、3人。
ママ友は、2人。
元々は1人だった。ママ友。
〜・〜・〜・〜
結局私は公園に行き、
ママ友2人と会い、
あいさつするときおそらくそのNEWママ友であろう人が
マスクをとってあいさつしてくれた。
その後敦子さんがもう一人のママ友に
「あの人の顔はじめて見たな。」
と言っていた。
遊んで10回くらいらしい。
ママ友にはそれぞれのママ友の世界があるということだろうか。
人生いろいろ、ママ友もいろいろ。

【写真:敦子さんの家で陽の方角へと向かってたくましく育つ豆苗】
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東京都現代美術館で開催されていた、
ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ「柔らかな舞台」に4回行った。
4回行ったのは何度も繰り返しというより単に集中力がもたないため
1回につき2〜3作品しか通して見れなかったためで、いやそんなことより
見た作品の中に「オブサダ」*というのがあり、映画大学の学生や卒業生、プロの撮影クルーら8名の女性たちが、撮影をしながら、あるいは協働作業をしながら、様々なシーンで話し合う。
「怒鳴られると踏み込まれたと感じる。」
「いつも社会との関わり方に自信がもてなかった。」
「女の子は自分を低く見積もり、不必要に勉強をしすぎる。」
そして映像の中で、カメラを構えているはずの人が話し出し、
カメラを向けられている人がこちらを振り返る。
「怒鳴られると安心する人もいる」
「自分で考えずにすむ」
「自主性も捨てられる」
「判断しなくていいから」
「慣れているから」
その作品を見ていて、
ふと気づいた。
わたしは #me,too がこわい
ある年から流行りはじめた運動を、
私は人から聞いて知ったが、今ひとつピンとこなかった。
「え、今、me,too運動って、知らないの?」
見ると、差別や暴力を受けたと感じたことのある女性が、自分の体験談などとともにハッシュタグをつけて意見を表明する、というものらしい。
その時はなんとなく変な違和感を感じて放っておいたのが、
今、それを こわかった とわかった。
映像の中の言葉は私がその場で走り書きしたものだし完全ではないが、
映像の中で女性たちは誰かが発したことに「でも、それは、」
と異論や疑問を呈する場面もあった。
そしてそれに同じ人や別の人が何かを考えて答える。
#me,too にはふしぎな勢いがある。
日本語に置きかえたら「私も。」私もそう思ってました。
誰かが言って、そこに乗っかる「私も。」
その流れは誰かがトイレに行くと言ったら私も行く。
女子特有の連れ立って行くかたまり感。
もちろん「問題」は提起がなければ発展もないという
ひとつの流れが存在するとは知っているが、
この、「1」があってそこに#me,tooとさも理由のありそうな大量のものが乗っかる、
そのパワーには平和より戦いを感じてしまうのは私だけだろうか。
私にも少なからず"性"を元にあやしい対応や攻撃を受けたことはあるので、
怒りに理解がないわけではないけれど、
怒りを怒りのまま団体性にしたところでそれは戦争となんら違いはないのではないかとも思う。
怒りが大きな渦になってしまっては暴力になりはしまいか。
だから何ができるかってそれは大きな話題だし別の話な気もするから
遠慮なく逃げます。
私は自分で考えたり、時には動いたり、動かなかったりするくらいしかわからない。
でも自分で考えたり、その心を癒したり、誰かと話したりすることは決して無駄なことではないと思う。
今回の展示「柔らかな舞台」のためにつくられた書籍の冒頭で、
東京都現代美術館学芸員・崔敬華氏が書いていた。
“ (「オブサダ」を含む)これらの作品では、女性の文化生産者や研究者たちが、音楽や詩や対話を通じて自らのアイデンティティと内に抱えた脆弱性を問い直し、自己の主観性を表現する言語をともに模索する。”
Me, Tooにたりないのは脆弱性だ。あるいは、脆弱性をよしとしないその雰囲気。
(2023年2月)
*「オブサダ(obsada)」は、ポーランド語で「キャスト」、「共同作業」、「植物を植える」など複数の意味をもつ。[展覧会パンフレットより]
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2023年2月
おととい小芝居チャンネル撮影をして、
そのあとからなんとなく郷愁感が高まっている。
ひさしぶりに雪を見たからか(南国なので逆に)、
雪の中撮影のために歩いたからか、よくわからないけれど。
いまさら 年末年始 日記
東京を出る前には「あそこに行こう! どこそこに行こう!」
意気揚々と胸の内でリストアップをしていたのに、
実際高知に帰って、私はほとんどどこにも行かなかった。
(サーカスには行ったなぜか)
東京に戻る飛行機の中で、機内誌を読む。
(行きの飛行機で、フライトアテンダントさんが 1月になったら毎年、その年の占いが載ってるんですよ〜!今から楽しみです! と言っていた。)



と書かれていた。
今年はどこかで旅行に行こう。
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(( 2022年 5月 ))
「やせた?」
と久しぶりに会う友だちに言われる。
「・・・やせた!?」
ある程度の年齢を越えると、「やせた」と言われると心配になる。
「えっ! げっそり!? げっそりした!? 心配する系の!?」
どうしても"痩せ"と"健康"が結びつかない。
「いや、心配する感じじゃないよ。」
健康の範囲内、とのことだった。
自分がやせたかも太ったかも、あまり人と会わないとよくわからない。
家に帰ってから、お風呂に入りつつ考える。
「もしかして、最近自分でやってるリンパマッサージがよかったのかな?」
「この、あごのあたりのことかな?」
「そもそも、どこを見てやせたと思ったのかな?」
そぼくな疑問が出てくる出てくる。
翌週、同じ友だちと会う機会に恵まれたので、聞いてみた。
「ねえねえ、どうしてやせたと思ったの?」
「知るかよ!!!」
と言われた。

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彼の話、なんだか印象深かった。
最近、エントリーシートを書いていると、自分と向き合うことになって、
今までやってきたことはダメだったから今エントリーシートを書いてるんだけど
それがまだけっこう自分の中に残っていて、
それを少しずつほどいていくんだろうな、というようなこと。
聞いて、また私の中でいくつか変換されているだろうけど
ダメじゃないよ。
と言ってもそれは多分あまりに軽い。
0コンマ何秒のタイムのことばかり気にして、
やる度に毎回浮き上がる課題、0.0〜秒を速くするために
スタートの角度、折り返す時の姿勢、体を動かすすべてのフォーム、
練習や試合の都度出た課題をきっと達成できてたこともあったのに、
どうして自分は褒めてあげなかったんだろう。タイムのことばかり気にして
彼が目指していたのはオリンピックだから、
行けたか、行けなかったかの2通り。
もっと認めてあげたらよかった。ひとつひとつを

(2023年 1月)
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そんな顔をするなら、
朝ドラなんて見なければいいと思う。
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2020年4月22日
正直、コロナどころではない。いや、私も蚊帳の中の人間だし、インドアを努めてはいるが、
意中の人と、連絡がとれなくなったのだ。約10日になる。いや、完全に音信不通というわけではない。たまに返事がくる。元気だよ、とか体調不良です、とかそんな感じの。だけどどうして、彼と私は毎日連絡をとっていた。ラインなり、電話なり、そのいずれか、あるいは両方。それが10日前から、二人の関係の歴史において初めて2日もの間ラインが未読となり、電話はつながらず、時折やってくる返事は必要最低限のもの。—— 一体、何が??
10日という時を要さずとも、私はただの2日ラインが初めて未読のまま放っておかれただけで、頭の中身をフル動員させた。2日ラインを未読にされたことがはなはだ嫌だったし、彼の身を案ずる気持ち、また最悪の事態への備え、最悪の事態にまつわる想像、万が一何事でもなかった場合、2日ラインを未読にすることは嫌なのだと伝えるのか否か、伝えるとすればどのように言語化すれば相手の気分を害さず関係を良好につづけてゆけるか、冷静になるため紙に書き起こそうとするとただ「す、き」の二文字しか書けなかったりした。
ふむ。
その「未読の2日」だけでも私の睡眠や食事には十分に支障をきたしていたが、未読が既読になった2日を過ぎても彼は明らかにいままでとは違っていた。送ったラインに返事がなかったり、返事がきたら「体調を崩した」とあって"謎はすべて解けた!"といわんばかり急いでうどんのスープと梅干を買いに行って郵送しようとしたらやんわり断られたり、朝方まで話していた電話には一切応じてくれず、連絡がほしいと言ったら体調かコロナの情勢などが文で返ってきた。
そんな風にして約10日が過ぎた。
限界だった。
しかし誰にも話せなかった。
今までも彼のことを人に話したことはあったけれど、
それはただの悩みか迷いか楽しみなのだと知った。
まるでモヤのような現状を、誰かに話すことで形をハッキリさせてしまったり、自分の気持ちが不本意に曲がったりするのがいやだった。話せるとすればそれは親しい人で、その人たちが何かを言ってくれて、それに影響を受けたり、それにお門違いな不満を抱いたり、言葉にすることで何かをハッキリさせてしまうことが嫌だった。
だけどあらゆる角度から「限界」の顔がちらついていた。
夜眠れないこと(それはしばらくつづく)や、お腹が痛くなる時間も増えた。
かたや彼とは連絡がとれないし、彼のことを思ったらなおさら連絡がとれない。
そんなとき、アルコール中毒の人と出会った。
この人だ、と思った。
この人になら、話せる、
ただ、藁をもすがる思いだった。
私はその日幸いアルコールを飲んでいなかったので、
居合わせた飲み屋で、
「私がその人を車で送っていきます」
と手を挙げ、その人を乗せて、海を目指した。
運転席から、聞いてください、最近こんなことがありまして、と、起きたことを述べると、
「カットバンで血が止まったら、カットバンの会社なんてない。」
とその人は言った。
「台風の一歩外出てみい。風ブューブュー吹いてるわけね。
ドボドボ血が流れゆ。だから、そういうことです。」
台風の目にいるから、私はそれに気づかないらしい。
「フラれたことを、人生にするの。」
とその人は言った。それは救いだと思った。
「僕ねぇ、もっと見せたいもんがある。ちょっと待ってよ。」
と言って、浜辺にゲロを吐きに行った。
いつも失恋のあとには思うことがある。
槇原敬之はよく「もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対」なんてよく言ったな。

※カットバン:高知でいう、バンドエイドのこと
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よいなと思ったこと
○ 音が出せる
○ 広い
○ お風呂に換気扇がついている
○ 声を出せる
○ ピアノがある
○ 猫たくさん走れる
○ 足を伸ばしてストレッチができる
と同時に、風呂の湯が浴槽の底からびやーっと出てくる、湯はすごく冷めやすい、トイレの扉はきしむ、キッチンがせまい、というか全体的にせまい、基本小声・小音で暮らしている、
今のアパートの暮らしも愛しているのだと知った。
初春のお慶びを申し上げます。

日曜日のエッセイ
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エスカレーターで下りながら
「おじさんは今、なにかやりたいこととかなにか夢とかってありますか?」
と聞いた。
私は東京に引っ越してきてから、
会った友だち(なんとなく近しいジャンルの人)に聞きがちだ。
「ちょっと、エスカレーターでは、言えないなあ。」
ほんの少しもじもじしながら夕焼けおじさんは言った。
そうか、たしかに、大切な話だものなあ、
なんとなく申し訳なく思いながら、
それでもおじさんは2階分ほど下ったところで
「ピアノを習って、
あの、街なかピアノってあるでしょ?
ピアノ習って、あれ弾いてみたいなあ」
「いいですね!」
またしばらくしてふたり1階に着き、わずかな残り時間、外のベンチで話すことにした。
「実は・・・」
夕焼けおじさんはおもむろに言った。
「ずっと職場で同じだった人を好きになっちゃってさぁ。」
全然驚くことではなかった。彼は私の知ってる20年近く前から常に2〜3人の女の子の存在がなぜかあったし、その「好きになっちゃった」というのは正直屁でもなかった。
しかも今おじさんには奥さんがいる。だから尚更どうでもよい。
「そうなんですね。」
その"屁"感が出ていたのか、
「急に冷たくなったね!」とおじさんは言った。
「アーティストって、恋の曲が多いでしょ! だからきっと相談もお手の物だと思ったのに・・・」
「なんですか、ミュージシャンが恋愛相談受けつけてるわけじゃないですよ。」
ちぇっという顔をしながらそれでもおじさんはその人と働いて何年になるだの、週に2回くらい一緒に帰る、帰るだけ、だの、本当にたまに飲みにいくこともある、だの喋って、都度私の冷たい相づちを受け、しかしなぜか「なんだか、スッキリしたよ!」と爽やか。
「さっきの夢ってピアノのことですか?」
聞くと、 ちがうよ。 おじさんは言った。
「え、じゃあ……」
恋をしてるから夢どころじゃないんだよ!
と言った。
==
明日、あたらしいYouTubeチャンネルを開く予定です。おたのしみに
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美術館で映像作品の展示を見た。
入り口からすぐのところに対面したような形でふたつの関連する作品があり、
その間に椅子と座れる空間、そこに出演者の背景や喋っている内容に関する情報等の掲載されたパンフレットが置かれている。
実際映像のなかで話されていること(台詞、スクリプト)とパンフの内容を照らし合わせてみても、どうしても見つけられないものがあり、どんな風にそれぞれが作られているか少し気になったので、奥まったところに立っていた監視スタッフに尋ねてみる。
「すみません、あの映像で話されている台詞が、
全部ここに載っているわけではないんでしょうか?」
するとその短髪の女性は「すみません、ちょっと、不勉強なもので」と言いつつ
私の持っていたパンフを手にとり、ペラペラとめくりはじめた。
めくって、どうなるのだろう。
と思う。
ペラペラしながら、ちょっと映像を見たりする。
この数秒で、パンフと映像の何を照らし合わせられるというのだろう。
私はボーっとする。
「あの、今回、展示されている作品は全部で3時間××分、だいたい4時間ぐらいあるんです。」
急に、その人は言った。
「当日のうちに再入場もできるチケットがあることをご存知ですか?」
「はい。なんならそのチケットで来てます。」
「そうでしたか!あの、当日のうちでしたら、また後日に来られるチケットを受付で…」
「あ、あの、そのチケットで、来てます。」
「あ、そうでしたか!」
それは、
聞いていない。
と思う。
世に出ると、時々こういうことがある。
派遣で働いた時にもあった。同じ職場の派遣の人。
聞いていない何かしらの回答が、親切顔でやってくる。こちらに
いつも出どころが分からないけれど、多分そこに私は関係していない気がする。

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