2023年2月5日

としごろ

(( 2022年 5月 ))


「やせた?」


と久しぶりに会う友だちに言われる。


「・・・やせた!?」


ある程度の年齢を越えると、「やせた」と言われると心配になる。


「えっ! げっそり!? げっそりした!? 心配する系の!?」


どうしても"痩せ"と"健康"が結びつかない。


「いや、心配する感じじゃないよ。」


健康の範囲内、とのことだった。

自分がやせたかも太ったかも、あまり人と会わないとよくわからない。

家に帰ってから、お風呂に入りつつ考える。

「もしかして、最近自分でやってるリンパマッサージがよかったのかな?」

「この、あごのあたりのことかな?」

「そもそも、どこを見てやせたと思ったのかな?」


そぼくな疑問が出てくる出てくる。

翌週、同じ友だちと会う機会に恵まれたので、聞いてみた。

「ねえねえ、どうしてやせたと思ったの?」


「知るかよ!!!」


と言われた。




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2023年1月29日

スポーツマン


彼の話、なんだか印象深かった。


最近、エントリーシートを書いていると、自分と向き合うことになって、
今までやってきたことはダメだったから今エントリーシートを書いてるんだけど
それがまだけっこう自分の中に残っていて、
それを少しずつほどいていくんだろうな、というようなこと。

聞いて、また私の中でいくつか変換されているだろうけど

ダメじゃないよ。

と言ってもそれは多分あまりに軽い。

0コンマ何秒のタイムのことばかり気にして、
やる度に毎回浮き上がる課題、0.0〜秒を速くするために
スタートの角度、折り返す時の姿勢、体を動かすすべてのフォーム、
練習や試合の都度出た課題をきっと達成できてたこともあったのに、
どうして自分は褒めてあげなかったんだろう。タイムのことばかり気にして

彼が目指していたのはオリンピックだから、
行けたか、行けなかったかの2通り。


もっと認めてあげたらよかった。ひとつひとつを






(2023年 1月)

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2023年1月22日

いつかの朝ドラ[イラスト]



そんな顔をするなら、
朝ドラなんて見なければいいと思う。

 

 

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2023年1月15日

2020年春、コロナより失恋が痛い

2020年4月22日

正直、コロナどころではない。いや、私も蚊帳の中の人間だし、インドアを努めてはいるが、
意中の人と、連絡がとれなくなったのだ。約10日になる。いや、完全に音信不通というわけではない。たまに返事がくる。元気だよ、とか体調不良です、とかそんな感じの。だけどどうして、彼と私は毎日連絡をとっていた。ラインなり、電話なり、そのいずれか、あるいは両方。それが10日前から、二人の関係の歴史において初めて2日もの間ラインが未読となり、電話はつながらず、時折やってくる返事は必要最低限のもの。—— 一体、何が??

10日という時を要さずとも、私はただの2日ラインが初めて未読のまま放っておかれただけで、頭の中身をフル動員させた。2日ラインを未読にされたことがはなはだ嫌だったし、彼の身を案ずる気持ち、また最悪の事態への備え、最悪の事態にまつわる想像、万が一何事でもなかった場合、2日ラインを未読にすることは嫌なのだと伝えるのか否か、伝えるとすればどのように言語化すれば相手の気分を害さず関係を良好につづけてゆけるか、冷静になるため紙に書き起こそうとするとただ「す、き」の二文字しか書けなかったりした。

ふむ。
その「未読の2日」だけでも私の睡眠や食事には十分に支障をきたしていたが、未読が既読になった2日を過ぎても彼は明らかにいままでとは違っていた。送ったラインに返事がなかったり、返事がきたら「体調を崩した」とあって"謎はすべて解けた!"といわんばかり急いでうどんのスープと梅干を買いに行って郵送しようとしたらやんわり断られたり、朝方まで話していた電話には一切応じてくれず、連絡がほしいと言ったら体調かコロナの情勢などが文で返ってきた。
そんな風にして約10日が過ぎた。
限界だった。
しかし誰にも話せなかった。
今までも彼のことを人に話したことはあったけれど、
それはただの悩みか迷いか楽しみなのだと知った。
まるでモヤのような現状を、誰かに話すことで形をハッキリさせてしまったり、自分の気持ちが不本意に曲がったりするのがいやだった。話せるとすればそれは親しい人で、その人たちが何かを言ってくれて、それに影響を受けたり、それにお門違いな不満を抱いたり、言葉にすることで何かをハッキリさせてしまうことが嫌だった。

だけどあらゆる角度から「限界」の顔がちらついていた。
夜眠れないこと(それはしばらくつづく)や、お腹が痛くなる時間も増えた。
かたや彼とは連絡がとれないし、彼のことを思ったらなおさら連絡がとれない。

そんなとき、アルコール中毒の人と出会った。
この人だ、と思った。
この人になら、話せる、
ただ、藁をもすがる思いだった。

私はその日幸いアルコールを飲んでいなかったので、
居合わせた飲み屋で、
「私がその人を車で送っていきます」
と手を挙げ、その人を乗せて、海を目指した。

運転席から、聞いてください、最近こんなことがありまして、と、起きたことを述べると、
「カットバンで血が止まったら、カットバンの会社なんてない。」
とその人は言った。
「台風の一歩外出てみい。風ブューブュー吹いてるわけね。
 ドボドボ血が流れゆ。だから、そういうことです。」

台風の目にいるから、私はそれに気づかないらしい。

 「フラれたことを、人生にするの。」
とその人は言った。それは救いだと思った。

「僕ねぇ、もっと見せたいもんがある。ちょっと待ってよ。」
と言って、浜辺にゲロを吐きに行った。

いつも失恋のあとには思うことがある。
槇原敬之はよく「もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対」なんてよく言ったな。 



※カットバン:高知でいう、バンドエイドのこと

 

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2023年1月9日

〜 高知に帰って 〜

よいなと思ったこと

○ 音が出せる

○ 広い

○ お風呂に換気扇がついている

○ 声を出せる

○ ピアノがある

○ 猫たくさん走れる

○ 足を伸ばしてストレッチができる

と同時に、風呂の湯が浴槽の底からびやーっと出てくる、湯はすごく冷めやすい、トイレの扉はきしむ、キッチンがせまい、というか全体的にせまい、基本小声・小音で暮らしている、
今のアパートの暮らしも愛しているのだと知った。

初春のお慶びを申し上げます。

日曜日のエッセイ

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2022年12月25日

夢より

エスカレーターで下りながら

「おじさんは今、なにかやりたいこととかなにか夢とかってありますか?」

と聞いた。

私は東京に引っ越してきてから、
会った友だち(なんとなく近しいジャンルの人)に聞きがちだ。

「ちょっと、エスカレーターでは、言えないなあ。」

ほんの少しもじもじしながら夕焼けおじさんは言った。

そうか、たしかに、大切な話だものなあ、
なんとなく申し訳なく思いながら、
それでもおじさんは2階分ほど下ったところで

「ピアノを習って、
 あの、街なかピアノってあるでしょ?
 ピアノ習って、あれ弾いてみたいなあ」

「いいですね!」

またしばらくしてふたり1階に着き、わずかな残り時間、外のベンチで話すことにした。

「実は・・・」

夕焼けおじさんはおもむろに言った。

「ずっと職場で同じだった人を好きになっちゃってさぁ。」

全然驚くことではなかった。彼は私の知ってる20年近く前から常に2〜3人の女の子の存在がなぜかあったし、その「好きになっちゃった」というのは正直屁でもなかった。

しかも今おじさんには奥さんがいる。だから尚更どうでもよい。

「そうなんですね。」

その"屁"感が出ていたのか、

「急に冷たくなったね!」とおじさんは言った。

「アーティストって、恋の曲が多いでしょ! だからきっと相談もお手の物だと思ったのに・・・」

「なんですか、ミュージシャンが恋愛相談受けつけてるわけじゃないですよ。」

ちぇっという顔をしながらそれでもおじさんはその人と働いて何年になるだの、週に2回くらい一緒に帰る、帰るだけ、だの、本当にたまに飲みにいくこともある、だの喋って、都度私の冷たい相づちを受け、しかしなぜか「なんだか、スッキリしたよ!」と爽やか。

「さっきの夢ってピアノのことですか?」

聞くと、 ちがうよ。 おじさんは言った。

「え、じゃあ……」

恋をしてるから夢どころじゃないんだよ!

と言った。

 

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明日、あたらしいYouTubeチャンネルを開く予定です。おたのしみに

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2022年12月18日

へんな答え

美術館で映像作品の展示を見た。

入り口からすぐのところに対面したような形でふたつの関連する作品があり、
その間に椅子と座れる空間、そこに出演者の背景や喋っている内容に関する情報等の掲載されたパンフレットが置かれている。

実際映像のなかで話されていること(台詞、スクリプト)とパンフの内容を照らし合わせてみても、どうしても見つけられないものがあり、どんな風にそれぞれが作られているか少し気になったので、奥まったところに立っていた監視スタッフに尋ねてみる。

「すみません、あの映像で話されている台詞が、
 全部ここに載っているわけではないんでしょうか?」

するとその短髪の女性は「すみません、ちょっと、不勉強なもので」と言いつつ
私の持っていたパンフを手にとり、ペラペラとめくりはじめた。

めくって、どうなるのだろう。

と思う。

ペラペラしながら、ちょっと映像を見たりする。

この数秒で、パンフと映像の何を照らし合わせられるというのだろう。

私はボーっとする。

「あの、今回、展示されている作品は全部で3時間××分、だいたい4時間ぐらいあるんです。」

急に、その人は言った。

「当日のうちに再入場もできるチケットがあることをご存知ですか?」

「はい。なんならそのチケットで来てます。」

「そうでしたか!あの、当日のうちでしたら、また後日に来られるチケットを受付で…」

「あ、あの、そのチケットで、来てます。」

「あ、そうでしたか!」

 

それは、

聞いていない。

と思う。

 

世に出ると、時々こういうことがある。
派遣で働いた時にもあった。同じ職場の派遣の人。
聞いていない何かしらの回答が、親切顔でやってくる。こちらに

いつも出どころが分からないけれど、多分そこに私は関係していない気がする。

 

 

 

 

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2022年12月11日

冬のある日

いつ頃からか暖房器具は石油ストーブを使っている。
去年、ファンヒータータイプも導入した。
東京には、このファンヒーターだけを持ってきた。

石油ファンヒーターのための灯油を、私は近所の米を売ってる商店に買いに行っている。
灯油缶を手持ちで、いつもひょこひょこ行く。おそらく家族経営のそのお店は精米もやっている米屋によくある販売っ気のない空間で、今日はそこでおばあちゃんと近所のおじいちゃんがコロコロのついたタイプの事務椅子に座り、向かい合わせで世間話をしていた。

その向こうに座っていたおそらくは嫁さんと思われる50代くらいのお方が私のことを察知し立ち上がり、二人で灯油の出る機械の元へ移動する。それにしても私を見ると「=灯油」と迅速に判断してくれるこの反応を見ると、直接灯油缶を持って買いに来る人は私以外にいないんじゃないか?と思わせる。

いつも15ℓか16ℓ買う。機械のℓ表示の回転を二人で見守り、15.0や16.0になったら蓋を閉めて一旦店の方へ戻る。会計のために

いつも領収書をお願いしていて、それもなんなら2回目から覚えてくれており(なぜなんだ、いつも青いスリッパで行くからか)、それを待っている時も間で向かい合わせになっているおじいちゃんとおばあちゃんは和やかに世間話というか近所話

いよいよお会計「1,920円です」となったところで、あらかじめ「かまいませんか」と確認しておいた1万円札を出す。はいはい、と万札を受け取った灯油人がおじいちゃんとおばあちゃんの間を抜けてお金BOXからおつりを出す。ここで何故か右奥の方から新たなおばあちゃんが出てくる。誰なんだ。
2度ほど電卓を叩いて確認の上、おつりの8,080円がやってくる。少し前あたりから、
なぜかトークおじいちゃんとおばあちゃんは話をやめ、奥さんの動きをじっと見入っている。
それからその「じっと」は私の手元に移動する。お札とともに
その「じっと見」は奥から現れたおばあちゃんも例外ではなく、
気づくと4人の人たちから私の手元と五千円札と千円札の行方は見られている。

1〜2人ならまだしも、
4人からこんなにじっと財布にお札を入れるところを見てもらったことがない。

だから私も言わずにはいられない。

「なんだか、すごく見守られてる・・・!」

一同、爆笑。

 

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2022年12月4日

進撃の風呂

ひさしぶりに、木造に住んでいます。
一応、トイレとバスは分かれているのですが、
内見のときからお風呂の古さ、
ためしにバスタブに入ってみたとき
壊れそうなくらい大きな音を出したので
そのバスタブも、お風呂も、建物も、古いことはわかっていたのですが、
住んでから、わかったことがあります。

バスタブが、浮いているのです。

なぜかバスタブと床のタイルの間にすき間があるのです。
いや、大体のバスタブは実はそういうものかもしれませんが、
少なくともすき間は見えないようになっています。


私がそのことに気づいたのは、まさに引っ越してきたその日、初日のことでした。


内見の時点でバスタブに入ってみることからもお気づきの方もいるかもしれませんが、
私は風呂に浸かるタイプです。
引っ越し初日ももちろん、
高知から猫をつれていくつかの乗り物に乗ってきたわけですから風呂はマストです。
なんとかガスや電気の契約も間に合い、湯をためて当日のうちに浸かります。
入るとき、やはり壊れるようなバリバリバリ!が響きます。油断すると立ち上がるとき、
なぜか出っ張った壁のL字部分に頭や腰をぶつけそうになります。
でもそんなのは慣れです。
"慣れ"次第で、どうとでもなります。
こわごわ鼻歌を歌いながら、湯を抜くとき、驚くことが起きました。

湯が、
一斉に湯船の底から登場したのです。
栓を抜いて排水溝および排水口に流れる湯しか知りませんでした。
その様はサントリーホールも圧巻の眺めでした。
なんのルートも敷かれていないただタイルの上に、
浴槽の穴を出た湯が「わ〜っ!」と飛び出し、
一度溜まれる限りタイルの上に留まり、ゆっくり少し窪んでいるだけの排水口に収まっていく。

一斉に出てきたのは湯だけではありませんでした。
湯のランダムなリズムに乗って、どこから現れたのか目をうたがうほどのヘドロ、ヘドロ、ヘドロ? これ何? ミジンコ? ミジンコの集合体? ヘモグロビン? 何? みたいな、とにかくどのくらいの歴代か想像できないくらいの汚れのようなものがせきを切ったように出てきたのです。


ショックでした。

こんなの、初めて見ました。
なにを、誰に、なにから伝えればいいのか、という感じでした。


しかしここは木造アパート。
それなりに年数も経っているとすればこういったアクシデント(?)も微笑んで流せる器量を! と思い、私は毎日風呂に入りました。毎日湯を流せば、いつかヘドロの歴史も一掃されるはず!という希望とともに。

 

毎日ミジンコの集合体は船の底から登場しました。
「ハ〜イ!」

  「いるよ〜!」

 「元気してるぅ〜?」
いろんな声が聞こえました。

ひと月経ち、だいぶその量も減ってきたかなと思い、
少しずつ、息を止めずに、湯栓を抜けるようになってきました。

そして湯船を使用し50日ほどが経ったころ、
湯と、いつものヘドロミジンコに乗って、ヘアクリップが出てきました。
もちろん、私のではありません。もちろん、かなり古そうなやつです。


「いつの、ヘアクリップ、、、?」

私は、「ボス」だ。と思い、静かに浴槽の中から眺めました。

 

さらにそれから10日以上経ったある日、
湯に浸かりながら、私は『進撃の巨人』を読みはじめました。
ここまで、「湯に浸かる」ということに必死で
肝心の「リラックスする」を忘れていることに気づいたのです。
引っ越しあるあるです。

Amazonを開くと、Kindle版なら「8月末まで無料で読める」と書かれていて、私は進撃しました。

湯の中で1時間、2時間、、そのまま3巻まで読み
4巻に入りこもうとしたとき、急に有料になりました。

「してやられた!」

いや、自分の見通し(期間限定・全巻無料と思った)が甘かっただけなのですが、まさか3巻分とは。

ひとまずその巻だけ購入し、途中まで読み、
夜もいよいよ遅かったので一旦湯船から出ることにしました。

3巻と少し、いやがおうにも今後の展開が壮大であると予感させる物語、その基盤となるだろう序盤を一気にかけぬけ、私はボー然としながら湯栓を抜きました。

いままでで一番、最大サイズのヘドロみたいなやつが出てきました。

私の目にはこのようにしか見えませんでした。

 

 

 



巨人です。

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2022年11月27日

漫画の感想


「いいよ、話しても。」

マヤちゃんが上目線でものを言うことはよくあること……ではなかった。多分。
私が今、何を話してもよいと言われているかというと最近3日3晩にわたり夜は朝方まで、
日中は時間の許す限り読みつづけた漫画『進撃の巨人』についてだった。

「え・・・」

私は急に場末のスナックに来たような錯覚を覚えて戸惑った。

「いいよ、話しても。」

何を話していいと言われているかも正直よくわからなかった。

「感想。何か読んだり見たりしたらさ、話したくならない? 人に。」

そう言われてみたら私はただ母親に「読んでる!」とか「最高!」とか「すごい!」とか電話で
ただ漠然とした思いを発露させるだけで、それはたしかに誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。

「いいの?」

私は私で昭和のしめっぽい返しになってしまったものの
胸の内はとにかく「面白い!」の一言に尽きている。

あと、ひとつ気になることがある。
マヤちゃんは、進撃の巨人を、途中まで見ている。(アニメ)

「どこまで見たの?」

聞くとけっこう見ていた。
漫画でいうと6巻あたりまで見ていた。
今抱く感想はひとつだ。

「よくやめられたね!」

正直、展開にのみこまれてしまえば、たしか20巻くらいあたりまでやめるタイミングが見つからない。

そう言うと、マヤちゃんが

「たしかに、私、途中で抜けたもの、結構あるかも・・・」

なんと、鬼滅もだった。ゴールデンカムイも、呪術廻戦も、
途中で「なんとなく」見るのをやめたらしい。

「あ!あれは全部見たよ!『鋼の錬金術師』」

私は鋼の錬金術師を見ていない。

「えー、進撃の巨人、面白いのにな。色んなことが書かれていて……
 とにかくよく途中でやめれたね!」

ということばかり言っていたら、

「そんなに面白いなら、進撃の巨人、もう1回見てみようかな。」とマヤちゃんは言った。

そしてマヤちゃんは言った。

「話さないで。」

こうして私は読み終えた漫画の感動を、
伝える機会をみずからひとつ失った。

 

立川のレストランにて 2022年8月
(これからアニメ映画を見に行く)

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