13:00。
堀川通りのどこかを西に入ったところで降りる。
960円。
住所の通りではあるが、会場はまだみつからない。
おじさんはちょっと聞いてくる!と言って近くにある美容院に入っていったが突然やってきたタクシーのおじさんにライブハウスの場所を聞かれた受付のギャルは案の定首を横に振っていた。心配そうに待つ誰も乗っていないハザードランプのついたタクシーと私の元に、おじさんはやっぱ分かんなかった!というような軽い足取りで戻って来て、最後に、あそこにマックもあるから!という言葉だけ置いて走り去って行った。
優しいタクシーのおじさんは、そういえばハリウッド俳優の誰かに似てた。
(次回、最終回)
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今まで京都に来た時は車だった。
私以外の人達もいた。
今回、私は一人でツアーに出るのが初めてなのである。
重い荷物、その上に雨、私は一人で本番前。
これ以上「泣く理由」を増やさないためにも、私はタクシーに乗った。
タクシーに乗って10分、ただの雨はお天気雨に変わる。
「変な天気ですね。」
と言うと、
運転手さんは「そうですね〜。夕立みたいなもんでしょう。」と言った。
(つづく)
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京都に着き、これからの移動方法を考えながら、私はエスカレーターに乗ったり、
地下街を歩く人々に荷物が重いということをアピールしてみたりした。
お腹がすいている。
地下街レストランは混み始め、私は並ぶ気力もなくして
また重い荷物をずるずると引きずりながらエスカレーターに乗り地上へと戻った。
地上に出ると今度は冷たい水が頬に触れる。
涙ではない、雨が降り始めたのだ。
(つづく)
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京都着、12:30。
重い。
高速バスの荷台から解放されて上機嫌の荷物達が、重い。
高知でバスに乗る前、なんとかギター以外の手提げ荷物3つを
スーツケースにまとめられないか工夫をこらしてみたのだが、
友人へのお土産「ミレービスケット」が砕けただけで終わった。
私自身、今も何故こんなに荷物が多いのかよく分からない。
いやお前が荷造りしておいて、分からないことないだろうと通りすがりのヒップホップな外人に言われそうだが、
本当に分からない。
分かっていればもっと少ない荷物で旅に出かけることが可能なのである。
(つづく)
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京都で私を見かけたら人が思うのは「荷物が多い」ということであろうと思う。
数にすれば、5。
内1つはフォークギターの入ったハードケース、
内1つは完全に海外旅行用サイズのスーツケース。
私自身、荷物が多い、と思っている。
「山では命とりになるよ。」
というあの人の言葉を思い出す。
今ならそれが分かる気がするから。
バスを降りてから一歩一歩、
私はこの荷物を連れて歩く度に自分の何かが減っている気がする。
京都まで乗ってきた高速バスの運転手さんには、
「このスーツケース、なかなか年季が入ってますね〜!」
と荷物をトランクから降ろす際言われた。
そりゃそうだ。
私はNYに言った時も韓国に行った時も東京も京都も福岡もロサンゼルスもどこに行くにもこのスーツケースを利用してきたのだ。
って、え!
どの旅行にも荷物の差がないということか!?
どういうことなんだそれは!!
(つづく)
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五月某日
某ハンバーグチェーン店に行った。
ヨーコさんが「びっくらモンキー」とか「びっくりカルテット」とか言い間違えるあのお店である。
平日だったので私は日替わりランチ(その日はハンバーグとエビカツだった)と、
〜乳酸菌飲料〜と書かれた「ヨーデル」という飲み物を注文した。
注文を取りにやってきた店員さんに「ヨーデルはいつお持ちしますか?」と聞かれて、
「もう大丈夫です。」と言って、あ変な言い方しちゃったかなもう大丈夫だなんてと思うのも束の間
「ではすぐお持ちしますね。」と店員さんは受け取ってくれて後、3分もせずに白い飲み物はやってきた。
「ヨーデルのお客様。」と聞かれ私は喜んで右の手を上げた。乳酸菌飲料を欲していた。
ついてきたストローを開けるのに少し四苦八苦したが、
晴れて出たストローの先をひたして吸い込むヨーデル。
「まずい!!」
それが私の第一声だった。もう一口飲んでみた。
「まずい!!」
それが私の発した第二声だった。
なんなら第三も第四もそうだった。
目の前にいた母にヨーデルを差し出してみた。
「まずい!!」
それを飲んだ母も同じことを言った。
しかし第二声は少し違った。
「これ、、、ミルクじゃない?」
え?ミルク?
そう思って再び飲んでみた。
なるほどミルクと言われればミルクのような味がする。
というかやはりこれはミルクではないか!?
ミルクと思えばただのミルクの味のミルクも、
ヨーデルと思って飲んだらこんなにまずい飲み物になるのか……
新たな発見を静かに感じながら迷ったものの、
私は店員さん呼び出しボタンを押した。
すると今度は別の女性店員がやってきた。
私は勇気を出して言った。
「ちょっと変なことをおうかがいしますけど、
これは、本当にヨーデルですか?」
ハンバーグを注文してチキンの照り焼きが来たなら良い、
ビールを注文してトマトジュースが来たなら良い、
それなら誰が見ても「異なるもの」である。
しかし私の頼んだヨーデルは白色で仮に中身がミルクだとしても白色だ。
まさか「ちょっと飲んでみて。」などと初対面の女性店員に言える訳がないし、
困った結果このような言い方になってしまった。
少しぽっちゃりしてメガネをかけている女性店員は、こう答えた。
「ヨーデルだと思います。」
これ以上何をどう伝えることができるのか、私は、
「ヨーデルは、牛乳のような味なのですか?」
と聞いた。
するとそのぽっちゃり店員は
「はい、牛乳を割るので牛乳に近い味をしています。」
と言った。
牛乳に近い…。
「8割方、牛乳ですか?」
「はい、そうです。」
とそのメガネ女性は言った。
「分かりました、ありがとうございました。」
私は迷い無く残すことにした。
やることはやった。
中身に確信のもてない飲み物をテーブルの右端にやり、
私の人生でこれ以降ヨーデルを注文することがあるかないかを考えていると、
注文をとった方の女性店員がやってきて、
「すみません、別の飲み物だったようです。」
とだけ言ってその偽ヨーデルをサッと取って去って行ってしまった。
「・・・・・・・。」
乳酸菌飲料だと思って乳酸菌飲料でなかったものを飲んだ時のガッカリ感を思えば、
もうちょっと謝りに必死さがあってもいい気がしたが、
改めてその女性店員が持って来た白い飲み物はまさしく乳酸菌飲料ヨーデルで、
何の迷いもなく飲む一杯目より数段美味しく、喜びを感じたのだ
ヨロレイヒー
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この度、ラジオをすることになった。
ラジオをする、というのは可笑しいかもしれない。
ラジオのパーソナリティ的なことをする、と言った方がいいのか。
言っておくが、お喋りに自信はない。むしろ口を開けば反省をすることの方が多い。
だけどやることになった。いや、した。
「どうしてラジオをすることになったのですか?」
と会った人から聞かれる。
どうしてそんなことが気になるのですか?
と聞きたいが、先手必勝、先手打たれたが最後、何か答えが必要な気がする。
ここのところずっと、何故私は今ラジオなのかと、考えていた。
「ラジオやってみたら?」という声があがった、
ネット配信に詳しい協力者が現れた、どちらも大事な要因ではあるが、
だからといって腰があがるものでもないだろう。
運転する車のハンドルを握り、カーステレオのボリュームを上げる。
ラジオは、見えない。
ほとんど声と音だけの世界だ。
それは良くも悪くも不便で、
その分からなさは余白を生み出し、
その余白は誰でもなく視聴者の想像に身を委ねている。
だからこそ、人の泳げる可能性があると思った。
ラジオ。
私は、分かりやすいことを昔から敬遠してきたように思う。
おならプー!と言ってお尻をつきだすより、
うっかり出てしまった友達のおならを笑った。
笑点のテーマ曲を分かりやすく歌うより、
コンクール課題曲の替え歌を作り皆で歌った。
運動場から「シュート!シュート!」という声が絶え間なく聞こえていることについて文章を書き、友達の言い間違いを笑い、授業中4コマ漫画を書いて怒られ、本気のラブレターを友達と交換し、台本を書き、クラス全員に役や係をふり分け、全校の前で発表した。
全ては日常に関わる、あるいは日常から派生したただのコメディだった。
繰り返されて無駄のないフォルムも美しいが、
未完成のまま飛び出して出た汗も輝く。
スーパーから出てきた主婦がはまっているソリティアについて。
口を開けばダイエット宣言の友人について。
美味しいコーヒーを入れる喫茶店店主がハマっている焼魚について。
昔の小さな失敗を抱いている建築家について。
何でも簡単に情報が手に入るように感じられる今、
見落としがちになってしまうものもあると思う。
それは時に想像力であり、時に人の弱さでありカッコ悪さであり、
時には底力であり、時には無駄なものである。
毎日にこそ輝く地味な表情を、
人の不器用さを私は愛しいと思う。
美しくなくていい。立派である必要もない。
少しつまずいて笑った時の笑顔のようなやり取りが、
今だからこそ大事なような気がしていたのだ。
今日から、浜口寛子のラジオが、少しずつ、始まります。
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誰だったかに「先生も部室ノート書いて下さいよ〜」と言われて断ったものの、書いてみることにしました。
今日は休みだけど、これを書くためだけに学校に来てみました。小雨だよ。
(中略)
ふと思ったんだけど、
もしかしたらみんなはまだ本当の「楽しい」を知らないのかもしれない。
遠足も楽しい、友達と話すのも楽しい、電話も楽しいし、ムダなことってのも結構楽しい。
こういう「楽しい」も生活の中ではとっても大切なんだけど私の言う楽しいはもうちょっと違うところにある。
本気で向かい合った時に返ってくる楽しさ、喜び。
本当にガムシャラにやって楽しいってのがある。
それは普段の楽しいよりも、深い。
皆はどこかで「楽」をしようとしてるように見える。遠慮してるように見える。
その時流れる時間はまた別のもの。
分からなければ分からないでいい。
悲しかったら大声で泣いてもいい、腹がたったら怒ったらいい。
本気で何かと向き合えば、何かがきっと返ってくる。
それは知らなかった気持ちかもしれないし、友達の本音かもしれないし、
知らない自分かもしれないし、誰かの笑顔かもしれないし、
賞賛かもしれないし、お客さんの感動かもしれない。
そして自分の中に生まれる充実感かもしれない。
(中略)
それでは また明日 浜口寛子
_______________________________
昔、母校で働き、演劇部の顧問をしていた時、
生徒達にあてたらしきノートの複製が出てきた。
よくもまぁコピーしておいたものだというそれを、ふとしたきっかけで見つけて、
まぁえらそうなこと言ってるわ〜とか思ってから、
私は初めてのCDアルバム引っさげて全国ツアーに出かけた。
京都、
東京。
かつて暮らした街を巡っていたら、
東京で、熱い男に出会ったのだ。
草野翔吾。
彼は学生時代から映画を撮っていた。
私は当時役者をやっていて、出演した芝居を見た彼に
「ファンなんっすよ〜!いつか絶対に撮りたい!」と言われたのを私は
「東京の軽い男」くらいにしか認識せず、もちろん言葉は嬉しかったが、
実際オファーもなかったしで、お互いそのまま大学を卒業し、連絡をとることもなくなったのだった。
しかし、
草野さんは本気だったのだ。
5、6年越しにそれを知ることになったのは、先日、私のライブを見に現れた草野さんが、
ライブ後の会場でどうしても「はまぐちひろこのミュージックビデオ」が撮りたい、
と何を言われても食い下がったからだ。
最終的に、
「もしダメとか言うなら、今日隠し撮りしてたライブ映像、ユーチューブに上げるよ!?」
と彼は言った。
白ワインがぶがぶ飲みながら、タバコすぱすぱ吸いながら、
ポケットに手突っ込んだまま恐ろしく前のめりな発言を連発する男を前に、
私もマネージャーMも、多少の戸惑いを感じながらも、
しかし、言葉にするなら「熱意」以外にないそれを目の当たりに、
使うかどうかは仕上がりを見て判断するという条件の元、その場でOKを出したのだった。
そしてライブの翌日、昼からPV撮影は本当に始まった。
昨日の今日なのに、一体どこにいたんだというスタッフ達を従えて、
重そうな機材をいとも軽そうに背負って草野さんは現れた。
「いやぁ昨日は酔っぱらってたからなぁ、はははは!」
話し合いのため一度入店したファーストフード店で
彼が開いたノートにはアルバム収録曲「OLと鳥」の歌詞が手書きで書かれていた。
そして当初「ドキュメンタリー風に」と言っていた内容にはガッツリ設定が組まれていた。
「朝6時半にひらめいて起きちゃったんすよー!これだー!ガバーっ!って。」
小鳥のさえずりでも目覚ましでもなく、
“ひらめき”で目覚めたと話す彼に若干ひきながらも、
これほど熱い男を見るのはもしかしたら初めてかもしれないと思った。
何もかもが急遽決まったことだったので、撮影はロケハンを兼ねてのものになった。
スタッフと私達を連れて、草野さんはあらゆる場所を歩いた。
草野さんがここでやろうと言えばそこでカメラが回り始めた。
さまざまな場所で、警備員さんに警告を受けながらも撮影は止まらず続いた。
スタッフは地下道を自然にする何かを持ってきてと言われれば、想像を超える早さで段ボールや傘などを見つけてきた。草野さんの発する言葉を漏らさずキャッチし、カメラワークから人通りのチェックまで完璧以上の働きを見せた。そして私はと言えば、「あそこに追いかけてる対象がいると思って」とか「もっと口を使って表現して」とか、挙げ句の果てに横から動くカメラで撮られながら前方遠くにいる何かを追いかけるとか、気づけば何年か前にもやったことのないほど高度な「演技」の必要を迫られ、ただただ呆然としながらも、口を動かし、言われた対象を追いかけていた。
全てがドタバタだったのにも関わらず、
草野さんのイメージに適うものはどこにでも現れた。
人気のない通路、地下街、コインロッカー、新聞紙、鳥、公園、そして屋上。
街が動く。風がふく。
それらを動かしているのは草野翔吾の「熱意」だけだった。
もし違ってもそう見える。
彼の熱量が、風景を定め、私を動かし、スタッフはそれについていった。
2日間、汗もかいたし、ライブ後で寝てないし、
食事は移動しながらのコンビニ食だし、
まさかの芝居みたいなことしたって全然上手くできないし、
体力使うし、反省もするし、ふがいなさも感じるし、満足なんてちっぽけなものだったりもするんだがしかし作業の中で生まれる「面白い」は普段ののんべんだらりとした生活の中で生じる「面白い」とはどこか異をなしている。作業という言葉が別のものである人もいるだろう。
京都、
東京、
そして高知に戻る飛行機の中で、
いつか自分が生徒達に向けて書いた言葉が再び頭に浮かんだ。
—本当に取り組むからこそ面白いってのがある。
ほんとだ。
それをまた、感じることができた。
良い意味で、東京らしさのないツアーだった。
2日目の撮影日、草野さんがスタッフの人に話しているのが聞こえてきた。
「昨日も緊張して眠れなくてさ、寝付けのためにお酒飲むけど効かないし、
結果、朝ちょっと酔ってただけだったからね。」
草野監督は、熱い男だ。
未だ出来上がってはいない急に撮ったミュージックビデオ、
どんなものになるかで採用が決まるような話になっていたが、
どんなものでも使うと思う。
あの姿勢、そして、共に過ごして流れた時間の密度と発生した熱を知っている。
熱量
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「OLと鳥」
ミックス作業が最終の段階になり、CD-Rにいちど音源を落とし込んで、
小学生の頃からあるSHARPのラジカセにそれを入れ、再生ボタンを押す。
曲が流れる。1曲目。
1. 左手
これは当時、東京で暮らしていた頃、
ルームサービスのアルバイトをしていた際つくった曲です。
バイト後、休憩室(ホテルの部屋の一室を倉庫にしていた)で冒頭の部分を作りました。
そこから色んな場所で少しずつ積み上げて、東京、高知、
最終的に締めくくられたのは確か鳥取でした。
そんな話は曲の内容とあまり関係ありません。
そして2曲目。
歌が始まるまでのつまり前奏の間、なぜか泣きそうになった。
どこか分からないところから訪れた涙と共に今までのことを思った。
今までがあってよかったとか、そんな言葉でもなくて、
今までのことがあって今がある、という、その事実だけが、
現実以上に身に染みたようだった。
無駄じゃないとか、人生はそんなに生易しくない。
2. 別れの気配
これはほんとのほんとに最初の最初に録音した曲です。
つまりレコーディング初日、
緊張したまま、わけのわからないまま
しかし気持ちだけは込めるぞという意識だけで口を開いて歌った曲です。
これについては1テイクしか録りませんでした。
昔の恋人とはこの歌の通りうまくいかなかったわけですが、
時間が経ち、このテイクでは感謝をこめて歌うことができました。
お元気ですか。
これでようやくあなたと別れることができそうです。
3. ノート
初めて作った曲。
中学高校の時にも作りはしましたが、
高校を卒業し上京し、しばらくが経ち、
20歳の時に作るぞと思って作った曲。
これが私の中ではなんとなくはじめてのような気がしているので。
そしてその時じゃないと作れなかったものだと。
4. 恋のうた
今回収録した中では一番新しい曲です。
好きな人に会える日は歌を歌う必要もない、そんなうかれたチューンです。
この曲がきっかけで、浜口の曲は妄想でできているのではないかという噂が流れましたが、
それは全て「口を塞がれて」というところが原因だと思います。
5. OLと鳥
歌っている通りです。
ちなみに声のふるえは「緊張」からではなく、「興奮」からです。
**
このアルバムは全て私の生まれ育った高知県にある、
藁工アートゾーン「蛸蔵」にてレコーディングを行いました。
レコーディングエンジニアは田辺玄さん(WATER WATER CAMEL)。
一人では決してアルバムを作ることも、
出来上がることも、
間違いなくなかったように思います。
だから、私の曲が盗作だったらどうしようとかいう土壇場でのどうしようもない悩みを優しく聞いてくれた玄さんを始め、私の声のCD化を希望したばっかりにジャケットのデザインまでする羽目になったデザイン&プランニングのプロ・竹村さん(歌詞カードがまるでひとつの本みたいでとっても好き)、どれをやったらいいか悩んでいる私に「全部やったらいいやん。」と言ったばっかりにCDのイラストを描くことになったもこ、初めて作ったデモ音源を「いいじゃん」と喫茶店 ”terzo tempo” の佐野Pが言ってくれたから私はライブをすることができたし、平素から関わってくれているMを始め、すべての人に感謝します。
ありがとう。
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誰かが「あれが“はまぐちひろこさん”よ。」と言って、
「えっ、あれが!?」と言われることが最近多い。
その度にどんな顔をしていいか分からない。
「えっ、あれが!?」というのは確実にあれだろう、
肩すかしをくらった人のリアクションだろう。
あるいは架空の人物だとでも思っていたのか。
いずれにせよ私には私を見たその人が「がっかりしている」ように見えて、
真顔でいると余計にそのがっかりを助長してしまいそうなので、
「いや〜どうも〜すみませ〜ん。プライベートなもので〜。」
などとヘラヘラヘラヘラする。
そうでなくても私は気づかれない。
待ち合わせた友人にはもちろん、
接客に力を入れているお店に入っても「いらっしゃいませ」と言ってもらえないことがある。
私に一体何をどうしろというのか。
もういいや、普段は普段なのだし!
私は開き直り、いっそプライベート楽しんじゃおう!と、土砂降りの雨おかまいなく、
行ったことないケーキ屋さんに予約なんかしちゃって、
友人のバースデーのためのフルーツタルトを買いに行ったりした。
すると後日、
「こないだ◯◯(ケーキ屋)の近くを歩いてませんでした?」
とCDを買ってくれた初対面の人に言われた。
その日は土砂降りだったという記憶の一致により、それは私だと私も思った。
車に乗っていたという相手に、あんな雨の中、どうして分かったのですか、と聞くと、
「背中で分かりました。」
と言われた。
私がプライベートでできる手だては、無いも等しい。
(高知にて、2011年)
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