中学からの吹奏楽部友人・アヤカから聞いたアヤカの妄想を、助走なしで聞きとり&書きとりしました。
・・・
クリスチャーノ・ロナウド(ポルトガル)と結婚することになる。
ロナウド「アヤカのホームタウンの高知県で結婚しよう。」
アヤカは会社で報告する、「この度、結婚をすることになりました。」
結婚式は高知市、九反田のホテル日航で行われる。
会社では「アヤカさん、国際結婚なんですね!
C・ロナウド・・・、あのロナウドと同じじゃないですか!」
と騒がれる。でも本物であることは隠す。マスコミに騒がれぬように、だ。
しかし結婚式当日、あのロナウドが親族とチャーター機で高知龍馬空港に到着。
アヤカとロナウドはホテル日航で幸せに結婚。
色々週刊誌には書かれるけど、ロナウドは優しい。
ロナウドはふとっぱら。
「海外に行くけど、アヤカは高知にいていいよ。」
家を買ってくれる。
— 幸せに暮らす。2人の間にできた子はニヒョン代表として活躍する。
・・・
アヤカはもうどっぷりの為、「ニホン」さえ上手くいえてないし、
ロナウドと出会う周辺の話は一切ない。
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2013年7月10日
夕方、日が傾く頃を見計らってプールに行き、濡れた髪をひとつに結びすっぴんで帰り道を自転車で走っていた。そういえばあの人にファミリーマートのジェラートが美味しいと勧められていたのを思い出し、坂道を下りながらブレーキいっぱい握りしめて5m先のファミリーマートめがけてハンドルを右に切ろうとした時、嬉しいことあったよ!とでも言いたげにニコニコしながら自転車を漕いでる中年男性が目に入った。清潔な白いシャツ。濃い色のベルトでベージュのチノパンをしっかり固定している細身の中年男性は、私が中学3年生だった時の担任、岡村先生その人なのだった。
「先生!」自転車で坂を下りながら呼びかける。
先生は上り坂の途中で慌ててブレーキをかけ、振り返り私を確認し、
「タイかどっか異国の人かと思った。」と言った。
なぜ異国の人に見えたのかはさておき、
「先生、痩せました?」と聞くと、
「いや、それが逆、太ったがやき。」と先生。
「ずっとベスト体重の55kgやったがやけど、それが今、史上最高の、57kgやき。」
「2kgって、あんま変わんないですよ。」
私のコメントは聞こえないのか先生は「それで最近鍛えようと思ってよ、
プロテイン飲んで1ヶ月くらい色んな人に方法聞いてトレーニングしよったがやき。
そしたら胃、壊してよ。」と続けた。「俺の体が悲鳴を上げたがやろうね。」
「へ〜、プロテインって胃に負担になるんですね。」
「いや、それは分からんけど、まあ俺には向いてなかった。」
話している時、先生は、坂道を下ってくる自転車、上ってくる自転車、歩行者、
車道を走る車、向こう側の歩道を通る何か、
色んなところをキョロキョロキョロキョロキョロキョロ見て、本当に落ち着きがない。
「先生、私今高校生みたいなんです。何をやったらいいがやろうって。」
「いいやん。俺もそんなもんで。
いや、8割子供のままやろ。大人なんて。」
そして、先生は、「最近“セイ”を感じるようになった。」と言った。「え?」興味深い話だと私は耳を傾けた。
「あの“性”やないで!あの…」
「分かってますよ。“生きる”でしょ?」
「そう。まぁ、りっしんべんの方もあるかもしれんけど、
最近になってすごく“セイ”を感じるようになったなぁ。」
「なんでですか?」
「“澄みきり”っていうビールが出たがよ。
知っちゅう?
それが結構美味しくてねぇ。今まで第3の時間(※正しくは第3のビール)って
どうしてもぬか臭いなっていうのがあったけど、それがないがよね。
ぬか臭さが無い、それを感じれる、“セイ”を感じるよネ!」
「先生、私はきっかけが知りたいんです。」
「あ、バレた?さすが……。するどいね〜。確かにこれは結果やもんね。うん。ああさすが浜口。」
このままはぐらかされるか、大した内容もなさそうだと察した私は、
「先生、私、中3の時何してる時が楽しそうでした?」
と尋ねてみた。
すると先生は「何をした時ふさぎこんじょったかやったら言えるけど、、、」
と言うので「そんな!楽しい方を知りたいです!」と制して言うと、
あの頃を思い出すように地面を見ながら先生は
「毎日、今日は何をして何を聞いて主導権握っちゃろうかって考えよったよね?」
「え?」
「他にも狙っちょったやつらはおったがよ。」
「うそ!?」
「うん。例えば◯◯やろ、△△やろ、あいつらもワ〜って目立ちたくて、」
「ウソ!?」
「覚えてないだけよ。色々あったがやき。」
「へ〜。」
「みんな月曜八時の枠が欲しかったがやけど、
そこを浜口が結局とっていってしもうたろ。
月曜八時に入れんかった人らぁは金曜十時に行くしかないわけよ。
あるいは浜口の番組の月曜八時のひな壇芸人として出演するか、
あるいはそれこそ金曜十時で自分の番組持ったり、そうじゃない人は本読んだりよ。」
「じゃあ、先生、中3の頃の私は、何が向いてると思います?」
「え?」
「役者なのか、脚本家なのか、文章なのか。はたまた歌?」
「ああ。
オールマイティでいいがやない?
カズとかはよ。サッカーやろ。
もうサッカーしかないってそういう感じやんか。
でも中田はよ、中田英寿ね?
サッカーとかやなくてもいいって、そういう人やんか。
色んな国行って、実際色んな国の言葉喋れるし、あの人頭もいいきね、
震災の時はすぐ現地に行って活躍したり、、
中田はひとつじゃないやん。浜口も、中田タイプやろ。」
私達はファミリーマートの隣の駐車場の前の歩道で、自転車を握ったまま話を続け、
私は既に足や手を蚊に4,5カ所かまれているのに対し先生はかまれていないようなので解散した。
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春のツアーは4月の26日、京都から始まって、
京都で2泊して東京へ移動、30日東京でライブをして、翌日には高知に戻りました。
そして5月の19日、去年開催してご好評いただいたような企画、
はまぐちひろこ歌謡ショー「ひろこの花は夜ひらくvol.2」の台本執筆、ゲストとの練習、当日の仕込み、宣伝等等等等等等!
息を抜きたいと思わずにいられなかった。
だから本番の3日前、休みだったよっちゃんと焼き肉ランチに何がなんでも行くことにした。
よっちゃんは車に乗ってやってきて、運転席にいるよっちゃんはなんと“サンバイザー”と“サングラス”をしてた。
「すごい。」
今年のよっちゃんはすごいと思った。
そしてよっちゃんはサンバイザーとサングラスと、手袋の装備で運転をしながら、
「野々村真さんの娘さんがデビューしたがやけど、」
という話を始めた。
「ののん、野々村さんの娘が花粉症らしくて、
それでそれを逆手にとった花粉症の歌を出したがやって。」
夢中で話すよっちゃんは今もサンバイザーとサングラスをしてる。
それを逆手にとったら一体何が生まれるんだろう。
日焼け?
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東京に着いたその日の夜、スタジオに入ってみた。
ギターのハードケース片手にスタジオまで歩いてゆくと、
そこでは皆が集団で楽器を持っていた。
小さな徒党を組んでいるのだ。
私はフォークギターと手提げカバンだけで一人でスタジオに入った。
一時間ばかし練習をして出ると、やはり何組かの徒党が話し合いをしていた。
小さな徒党達は私のことを見た。
あの人は一人で一体何をしに来たんだろうと思われたかもしれない。
私は浜口、ここへはピアノを弾きに来た。
(これで2013、春のツアー記はおわります。)
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「私ずっと“モンシャンミッシェル”と思っちょったがって!」
と、パリ旅行から帰ってきたばかりの友人、よっちゃんが言った。
ところでよっちゃんはよく聞き間違いをする。
最近がんばるゾ!と語学力向上に燃えている韓国語だって、私が5回
「カムサハムニダ(韓国語でありがとうの意)」
と言って教えてあげても
「え?カムハムハサムニダ?」
と平気で聞き返してくる。
なんだ、カムハムハサムニダって。
噛むためのハムでも挟む気なのか。
「でもね!今回は言い間違えたんではなくてそう思い込んじょっただけやきー!」
と、モンサンミッシェルの件について、彼女はなぜか開き直っている。
言い間違いを庇った結果、聞き間違いの可能性は露呈したことになるのだがそれはさておき、
「ねぇ、モンサンミッシェルって、何?」
私は世界地理とか各国に散らばっている歴史的建造物に疎い。
アンコールワットはただの土砂道のことだと思っているし、黒海と死海の違いも分からないし、
入ったら出て来れない何かがどこかにあると聞いたことがあるが何のことだか分からないし、
斜めに傾いてるやつとか、とにかく私の知らない名所が世界にはまだまだたくさんあるのだ。
「えっ!モンシャンミッシェル、知らんが!?」
よっちゃんは軽く驚いてから、
「ひろじに写メで送った、エッフェル塔じゃない方。」
と言った。
これはもしかしたらエッフェル塔ではないかと思っていた写真はやはりエッフェル塔だったのか
と少しホッとしてから、もう片方の写真を思い返す。
「ああ、あの幻想的な!」
写メールから受けるあまりにアバウトな感想もよっちゃんは満足気に受け止めて後、
「あれはね、、」
と、なぜかモンサンミッシェルができるまでのエピソードを語り始めたのだ。
(おそらく現地で教わり得意気になっているよっちゃんの以下、説明。)
昔、ミカエルさんって人がおったが。それで、ある日そのミカエルさんの夢に神様が出てきたがやって!それで神様が、あそこに、教会を建てなさいって言ったがやって。今モンシャンミッシェルがある場所にね。でもミカエルさんはまさか自分のところに神様がくるわけないって思って、無視したがやって。そしたらもう一回神様が夢に出てきて、同じこと言ったがやって!でもまだミカエルさんは自分のとこに神様がくるわけないと思って、それも無視しちょったがやって!そしたらまた神様が出てきて、3回目の夢でまた同じことを言ったがやけど、神様が自分の頭の中に指を、すっと入れてきたが、頭にこう、刺したがやって!ミカエルさんの。それでその指が抜けても痛くもなんともなかったき、これは本当に神様ながやと信じれて、こりゃ教会建てないかんと思ったがよ!それでフランスのおえらいさんのとこに、建てるには許可がいったきね、許可をもらいにテクテクと、モンシャンミッシェルの場所は遠いきテクテクと、おえらいさんのとこに行って、それで許可がもらえたがやって。そしたらその帰り道、地震が起こったが!そしたら、今まで平たかった場所がもくもくもくっと隆起してきてぇ〜、で、まぁそこに、その隆起してきたとこに、モンシャンミッシェルを建てたがやって。それで、当時から聖なる場所として〜、モンシャンミッシェルは巡礼の場所になったがやけど、モンシャンミッシェルにつながる道が潮の満ち引きの場所やって、そんで潮が満ちるのが時速8km?かなんか、私も見たけど、とにかくすごい早さで満ちてくるがって!それでもたくさんの、しゅごうそう、たち、が、、
ん?
・・・しゅごう?
今まで相づちだけで大人しく聞いていた私ももうダメだ。
その歴史的背景のある厳格な建造物を前に、
彼女の説明はあまりにオリジナリティ豊かで、
言い間違っているモンシャンを直す気配さえなければ、
そこに修行僧ならぬ“酒豪層”達が押し寄せる様はあまりにひょうきんだ。
そう、よっちゃんは言い間違いもよくする。
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今日のマヤちゃんは素敵だった。
とあるライブ会場で会って、
「周りに、美人が多すぎる……。しんどい……。」
と言っているようすはいつもと同じだったけれど、
結構なスピードで自転車帰り道、
2人でぐちゃぐちゃ言いながら帰って、
ぐちゃぐちゃ言ったけど最後、
「今も職場で「?」と思うことがあってさ。そのこと考えてて、
こないだもその話してたんだけど、
そしたら言われたんだ、
それを言ったり気にしてても事態は変わらないって。
自分がその時できる事をするしかないって。
それで今日、そう思って働いてみたんだけどさ、そしたら何か、変わったんだよ。」
これ受け売りだからと言うが、
今目の前で美しいマヤちゃんが言ってるのだから私にとってはもうマヤちゃんの言葉なのだ。
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2011年10月1日
今回、私は特に部屋の掃除をするでもなく、体を念入りに磨くこともなく、
いつも通りに過ごしている。
今、本番前。
久しぶりの本番前。
昔、役者をやっていたことがあるのだ。
そして、出演する舞台の本番前には、
あますところなく部屋を掃除していたのだ。
隅々まで掃除機をかけ、排水溝や水回りなど特に念入りにキレイにし、
前日あるいは当日に入るお風呂では磨き残しのないように体の全てを洗い清め、
小屋に入る日はまともな服を着て、本番当日は片付いた部屋の中で、
線香を焚き、あらゆるものに祈り、その線香の煙を自分の体の周りで一周させた。
あれから知らない間に4年が経ち、
私にまた、本番がある。
今日は歌の本番だ。
特に部屋の掃除もしていないし、掃除機はここしばらくかけていない。線香もたいてない。
人には同じような状況になった時しか目覚めない記憶がある。
それはかつての本番前。
気が狂ったように本番前、身の回りをキレイにしていたのは単に、
礼儀の問題だと記憶していた。
舞台にいるかもしれない神様のような存在に、失礼のないように、
極力色んなものを清らかにしてから挑んでいたのだ。
と。そう記憶していた。
でも違った。それだけではなかった。
やっぱり掃除しようかなと身をかがめた時、それを思い出した。
私は、負い目を0にしていたのではなく、言い訳できる可能性を0にしていたのだ。
と。
万が一失敗した時、何者のせいにもできぬように。
自分ひとりで立ち向かえるように。
もし何かアクシデントや芝居上のミスがあった時、
ああ、排水溝を掃除してなかったからだ、
洗い物を残しているからだ、
体の磨き残しがあったからだ、
と思えないように。先に手を封じていたのだ。
あれは、失敗の原因となるものを殺す作業だった。
人間らしくないな。
と4年後の私が思う。
昼寝でもしようか、と窓からの風を受けて考える。
あと何時間かしたら新しい本番がはじまる。
その本番は「デビューライブ」と銘打たれている。
2011年10月1日
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翌日は、東京に移動する日だった。
さなみが京都駅まで送ってくれた。
※さなみ
私が母校で実験助手をしていた頃、高3だった生徒。
私のことを「君」あるいは「hamaguchihiroko.com」と呼ぶ。
京都駅には8時に着いて、
8:30のバスを待っている間、さなみが
「私の知り合った人の中で君が一番ダントツに変。」
と言った。超ビックリした。さなみは美大生だ。
よっぽど美大生の方が!とムキになったが
「最近の美大生なんてかわいいもんよ。」
と若干19歳が言う。
さなみは
帰ってお風呂にも入らないのに、
ファンデーションを鼻の周りにしか塗らないのに、
髪をくくるゴムを薬指にはめているのに、
部屋につけてるカーテンを24時間開けっぱなしにしているのに、
私がヘンってどういうことだ。
「お土産を買ってくるということを覚えたのに?」
「今から乗るバスのチケットをちゃんと忘れず持ってきたのに?」
「多分さなみは、変わってるって言われると思うの他の人から、
でも私はそうは思わないし、むしろその調子!って思うよ。」
と、私は言った。少なくともカーテンの使い方はさなみより知ってる。
するとさなみは「うん。」と言って、
「私は変わってると思う。hamaguchihiroko.com。
もっと拍車かけたらいいって思うよ。」
と言うさなみの顔はやっぱり19歳のようなのだった。
さなみはいつも回数券を鶴にしてしまう
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謎の腹痛に見舞われながらも、無事、1日目のライブを終え、
翌日は一人で京都の町をぶらぶらした。
昨夜ライブを見に来てくれていた山ピーが、新しい自転車を買ったというので、
昼からそれに乗って町に出た。
やはり京都は自転車がよい!
京都に住んでいた頃、
足繁く通っていたタイ料理屋で一人遅い昼食をとり、
朝からずっと食べたかったガパオガイを注文、
料理が来て私が食べたかったのはガパオガイではないことが判明、
ガッカリしたが全部食べた。
タイの料理名はカタカナが多い。
私の食べたい料理は一体何ていうカタカナだったんだろう。
店を出て、
山ピーの自転車にまたがり行き先を考えていると、
そういえば今日、知り合いの人々がワークショップをやっていると言ってたのを思い出した、
会いに行ってみる。
京都に住んでいた頃、私が何をやっていたかというと、大学の授業を受けるか、パンを食べるか、
コンテンポラリーダンスを踊っていたのだ。
本日、国際的なワークショップを行っているらしい芸術センターには
当時お世話になったメンツが何人か存在しているはずだった。
途中でお土産をと思い、好きだったパン屋に寄ると、店は閉まり、
扉には張り紙が貼られていた。
そこには、
「長年の夢だったドーナツ屋を開きました。」
と、2年前の日付と共に書かれていた。
また自転車で約5分。
そのドーナツ屋に行くとドーナツは全て売り切れており、
かろうじて残ったラスクを2つ買って、また外に出た。
芸術センターはワークショップで賑わっているのか、
駐輪場にはたくさんの自転車がひしめきあっていた。
馴染みのある門から建物までの道を歩く。
入ってすぐ左手に位置する講堂には、扉に手書きの文字で
「見学ご自由に」
という貼り紙があった。
休憩時間まで、お言葉に甘えて見学することに。
中ではイスラエルのダンサーがワークショップを行っていて、
内容は、参加者の内一人が思いついた踊り/動きを一度だけ見せ、
それを皆で一遍に再現する、というものらしかった。
他のワークショップも受けず、ただ純粋に見学をしている者はどうやら私一人で、
私と何人かのスタッフを除くほとんどの人間(約30名)が同じような動きをしているというその光景は、
踊っていた当時こそ当たり前だったものの、
ダンスから離れた日常生活に勤しんでいると、異様にうつった。
そしてこれほど「踊りたい人がいる」という事実になんとなく驚く。
15分程で休憩時間がやってきて、見渡すと、
知り合いの内の一人、オジーの姿が目に入った。
今日も制作を担当しているのであろうオジーが、
受講者らしき人とやり取りしているのを近くまで行って待ち、
今だというタイミングを狙って声をかけた。
「オジー!」
するとオジーは
「……。」
ただ私を見ていた。
その顔は明らかに初対面の人に向けるそれだった。
私は仕方ないので名前を名乗ることにした。
「私だよ、浜口寛子だよ。」
するとオジーの顔には表情がようやく灯って
「はまちゃん!!?」
いつものオジーになった。
少しばかり立ち話をして、
その他のダンサーの方々にも
「こんにちは!」と挨拶をして、
一瞬の「?」を確認の後、すぐに「浜口寛子です!」、
と自己紹介をした。
認識してくれると、みな当時の笑顔を見せてくれるのだった。
私にも張り紙が必要だったかもしれない。
いつか好きだったパン屋の長年の夢だったドーナツ屋のかろうじて残ったラスクをそっと渡して、
会場を後にした。
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近くにあったさくら水産にて500円のA定食(焼き秋刀魚)を食べた。
さくら水産は荷物の多い私にもご飯や漬け物のおかわりを自由にしてくれ、優しかった。
さくら水産で私を見た人が思うことは、
荷物が多いということであろうと思う。
さくら水産にて、四方から荷物に囲まれる焼き魚定食
(つづかない)
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