最近その人を前にすると、果たして自分の覚えている名前があっているのか確信がもてなくなるときがある。人の名前を覚えるのが苦手というのとは少し違う。むしろ覚えている方だと思う。「田中さん」と覚えてはいるものの、いざその人を前にすると、本当に田中さんだったか?もしかしたら中田さんや、はたまた前田さんだったのではないか!!?とすごく心配になってしまい、結果一度も名前を呼べないという事態に陥るのだ。
土曜日、つくばに行った。
私はつくばでも、同じ状態に陥った。
友人の展示を見て、いざ帰ろうというとき、その日知り合った初対面の人が車で駅まで送っていってくれることになった。
その人はしいたけを育てていて、ここのところ正社員になったといった。
それまでもいろんなことをしていたそうだ。
シャケ、みかん、あとひとつなにかとにかく食べ物を育てる仕事をしたけど、どれも長くは続かなかった、といった。
それからワーキングホリデーに、オーストラリアに行ったそうだ。
それからその人曰く「はまっちゃった」らしく、いろんな国を転々としたという。
日本に戻り、英語を生かした仕事に就きたいと思い実際に就いたが、
曰くスーツを着て、「俺」ではなく「私」を使わなければいけないことをたしなめられる環境には3ヶ月で見切りをつけたという。
そして今、働き始めて2年のしいたけ育てで正社員になり、
私の隣で普通車を立派に運転している。
そんな動きができるのって、、
「ずっと、こちらなんですか?」
え、こちらって?
「えっと、こちらに、お住まい、、お育ちも、こちらの方なんですか?」
ああ、そうそう。茨城だよ、実家もまあ近くだけど。
いばらき、だったのか、いばらぎだったのか確信がもてないのだ。
いばらき、だったような気がするが、いばらきに住んでいる人をまえに、
「いばらき」と言うことができない。
間違っていたら、失礼になる。
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一緒にいた全員が、全力で濡れていた。
大量の雨が降った。一気に。
わたしたちは全員、折りたたみ傘しか持っていなくて、
その大きさはその雨量に対してほぼ"無"に近かった。
Kさんが道案内を間違えた隙に雨はさらに激しくなり、
これは冗談にならないという思いが全員に芽生え始めてマンションの軒先に休息を求めたとき目的地の灯りが見えた。「ここで休んでどうする」ふたたび雨のなかを進み、店に着くと完全にもう客が来ないと踏んで座っておしゃべりを楽しんでいた二人がびしょぬれの4人を見て言葉を失っていた。びしょぬれの4人のうち3人が何かを買い、その間に落ち着くだろうと思っていた雨はさらに勢力を増した。視界が水といってもいいほど降りしきる雨のなかへ、わたしたちはふたたび覚悟を決め、息を止めて飛び込んだ。
「×💀☆◎?※#💲%*〜〜!!!!!!」
「せ0α*🍞&B☆??!!!!」
「@:>こ🐮0※🌾〜〜〜!!!!」
つねにだれかが、あるいは全員がなにかを叫んでいたが、どの言葉も雨の音に消された。
「店を出て、右に曲がってまっすぐ歩くと右手に駅がある」
Kさんが店の人から聞いてきた情報を頼りに、わたしたちは土砂降りのなかを叫びながら無力の傘とともに歩いた。1cm進むごとに、背中が、頭が、足が、雨に打たれた。そうして今度は寒さが耐えられなくなったとき現れた大きな軒のしたに、全員が何も言わずに入った。
「ここに駅があるわけはない、なぜなら私たちは左側からきた」
行き道も間違えたKさんの、疑惑が核心に変わっていた。
ある者は髪を、ある者はスカートの裾を、ある者は靴下を絞った。
どこからでも水が出た。寒かった。
5分もしないうちに雨は落ち着き、
じぶんたちは何をやってきたのかと誰もが声に出さずに思った。
わたしたちは元来た道を戻り始めた。
さきほど駅から出てきたたばかりの乾いた服をきた人たちが、わたしたちを2度見した。
そうしていつもは不快に思うはずの、ぬるい風の吹く地下鉄の入り口に立ち、 誰かが「あったかい。」と言った。
その言葉は全員の腑に落ちた。
それでもあの一瞬のような、
30代〜40代の4人で叫んだ雨のなかは、とても自由だった。
明日からもがんばろう。
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説明書の 冒険のはじまり のページにはとにかくマップを回転してみようと書いてある。
まずは、3Dの空間に慣れることが大事だそうである。
L1ボタンは左に回転、L2ボタンは左に45度ずつ回転、
R1ボタンは右に回転、R2ボタンは右に45度ずつ回転、
そして□ボタンで、マップを引いて見渡すことができる。
自分で押してやってみる。ほう。
なるほどこれを使うことでスーパーファミコンの時代にはなかった、
建物の裏や物かげまでチェックしながら動くことができるらしい。
早速、町を歩き回ってみる。
タルや壺などが、建物の裏側にまで配置されている。
つまりマップを回転させなければ見つけられない壺などがあるということだ。
はじめてドラクエをプレイし最後までやりきったのは確か小学校中学年のときだった。
そのころは何がなんだかわからなかった。
何がなんだかわからなかったからこそ夢中で、最後までクリアする糸口を探したものだったが、
なんだか大人になった今、目的が、ゲームをクリアすることではなく、
壺とタルの中身をすべてチェックすることになっているような気がする。
建物の裏側はもちろん例のL/Rボタンを使わないと見えないし、場所によっては家と家の間でさえ方向を切り替えないと道が見えない。建物の中だって同様で、十字キーと一緒にLとRのボタンを操作しながら、私は人に話を聞き、人様の家の壺を投げ割り、タルを叩き割り、本棚をじろじろと見て、タンスの引き出しを開けまくる。
異変に気づいたのは1時間近く経った頃だろうか。なにかがおかしい。
その違和感がなんなのか、この時はまだ分からなかった、
私は10分夕寝をしてシャワーを浴びた。
そして家族とバイキングを食べに行った。
家に戻ったあと、またやってみた。
プレイすること20分。
やっぱりだ。
やっぱりあの感覚に襲われた。
腹部に渦が巻いているような強烈な違和感。
きもちわるい・・・。
私はドラクエで、酔ったのだ。
20分未満で、酔った。
恋人からメールがきていた。
「レベル2くらいにはなってるんじゃない?」
戦うこともせず、ただ人様の家のタルや壺を壊している私はレベル1のまま。
挙句、現実世界で酔っている。
返すメールも特にない。
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会社ではKさん(60代男性)にだけ音楽をやっていることを伝えている。
そしてそのことを会社では内密にしてもらっている。
今日、Kさんのデスクで仕事の話をしているとき、
Kさんはおもむろにメモを取り出し、
白い紙の空いたスペースに「5/26」と書いた。
なんですか? と聞くと、
Kさんは口パクで「つぎのらいぶ」と言って、
メモの日付けのあとに「?」と書き加えた。
「ああ!そうですそうです!」
どこで知ったんだろう、
ああこないだ月末とだけ伝えたんだっけなどと思っていると、
「その日、同窓会だった。」
とKさんは言った。
Kさんは65歳を過ぎている。
「それは、大切な用ですね! ぜひお気になさらず行ってきてください!」
と言うと Kさんはメモのさらに空いたところに、
「○○同窓会」と書いた。
同窓会に名称があり、地元から上京した人たちだけで、
年に1回開催されているものらしい。名前までつけて、しぶい。
(毎回300人くらい集まる。)
「ライブ何時から? 同窓会の後、行けそうだったら行くよ」
とKさんは言ってくれた。
「でも、二次会とか、あるんじゃないですか?」
と言うと、
「いっつも同じメンバーだから。」
とKさんは言った。
十数年つづいた同窓会の歴史と重みを感じた。
===
(他にも別の名称の同窓会が3つくらいあり、 それもだいたい同じメンバーらしい。「つまらない、」と言っていた。深い)
※ ちなみに5/26のライブは⇨こちら
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大学卒業間近に、就活もロクにしていなかった私が
知り合いの紹介でバイトに入ったのはとある編集プロダクションだった。
勤務初日、
60歳の女ボス・三宅さんは
「あなたを表現するものを何か1つ提出して。」
と言った。
加えて「なんでもいい。」とも。
「音楽をやってる男の子は自分の曲の入ったカセットテープを持ってきたわよ。」
そこで働き始めて、全てのことが見事に初めてで、
怒られるわボス気分屋だわ、
例のものの提出については一度も触れられなかったので、
このまま流せるんじゃないかしめしめ、と思っていた矢先、
「ちょっと、1つ提出してって言ったでしょ!まだ!?」
と怒られた。
近日中の期限をつきつけられ、
私はほぼ徹夜で自分のことが分かるものを制作することになった。
私を表現するもの……。
一体なんだろう。
自分で作った曲もあったがそれが自分を表すとは到底思えなかった。
わたしを表す、もの。
そうだ。
私は、私の年表をつくった。
私を表現するもの、私を少しでも相手に伝えることができるもの。
それは他ならない、私の歴史である。と考えたからだ。
バイトの終わった後、
夜の3:00頃まで必死で自分の年表を生まれて初めて作った。
明日もバイトである。あまり無理をして明日の仕事に差し障るのは良くないな、と思い、
生まれて初めてのマイ年表は小学校6年までのものとされた。
大事なことは大抵小6までにつまっているのだ。
翌日。
私は細長い年表をまるめて、
初日に面接をしたキッチンで、
丸椅子に座ったボスに差し出した。
「なにこれ?」
と聞かれ、
「私の年表です。」
と答えると、激しく怒られた。
なんでカセットテープはよくて年表はだめなんだ。
OLもやってみたが、
未だにわからない。
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ある日、いつもの通勤路を駅まで歩いていると、
とあるごみ捨て場の前を通りすぎた。
ん?
と思う。
ゴミの上にある、緑色のネットに何か紙のようなものがついていた。
あれだ、ゴミを飛ばないように抑える、あるいはカラスよけの、よくある緑色のネット。
近づいて、その紙を見てみた。
網にさわるな
誰がつけたか
判っているのか
と書かれていた。
「わからない」、と思う。誰がこのネット(網)をつけたか、さっぱりわからない。
そして、すごい、と思う。この張り紙は「わかるだろ?」のテイで書かれているから。
すごい自意識だ。
「オレがつけたってわかってるくせによくも網を」、、、
いや、ちがうかもしれない。
自意識じゃないかもしれない。
自信があるのだ。
俺のものは俺のもの、お前のものも俺のものと謳うジャイアンを軽くこえる力があるんだ。
権力に裏付けられた自信。
自信があるなんてもんじゃない。自信がみなぎっている。
もう一度読んでみる
網にさわるな
誰がつけたか
判っているのか
すごいみなぎりだ。
「わかる」に「判る」という漢字をあてはめているところがやはりすごい。
明確にわかる人物でないととてもじゃないけど「判」は使えない。
しかし、どうしてそんな権力のある人が網を気にしているのか。
もしかして家宝なのだろうか。網が。
そして、網をさわったのが「ハト」であった場合、
「判る」まで行ける可能性は少ないが大丈夫か。
そうか、それはとるにたりないことなのか。
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先月、山梨に行ってきました。レコーディングです。
駅の南口で待っていて、と言われていた。
山梨までバスで着いて、降りた広いロータリーが南口だろうと思いこんでいたら逆だった。
こういう迷いのない思い込みってどうしたらいいのか。
今回もレコーディングエンジニアをお願いする玄さんが、駅まで車で迎えに来てくれていた。
まずはお昼ご飯を食べようということになっていて、
「うどんか寿司かカレー、どれがいい?」
と聞かれて、さっきまで「うどん」と思っていたのに口から出たのは「寿司」だった。
寿司屋に向かいながら、玄さんがその店の紹介を運転席からしてくれる。
「よく行くところでさ、息子さんと知り合いなんだけど、
すぐにはお店を継がずに一回違うところで働いて、戻ってきたんだよね。」
しかもその1回働いたというのが寿司屋ではなく、ケータリングを中心に新しい調味料の製造をしたり素材と季節を意識しながらの料理をつくるとかとにかく新しい可能性を感じさせるところだったのが、なおさらいいなと思った。好感。
そうして辿りついた寿司屋は昔ながらの趣で、
美しいツヤのかかった一枚板のカウンターは分厚く、
明るく玄さんと挨拶を交わしている大将の顔からもカウンターの木と同じような重ねてきた年月とこだわりが感じられた。
そこに息子さんらしき人が現れた。
笑顔でしそジュースを持っている。サービス品だ。
飲んだら、すごく美味しかった。
でも、こんな立派なお寿司やさんで、こんな立派なしそジュース、よろしいんですか?
そう思って顔を上げると、息子さんがメガネをかけていることに気づいた。
おしゃれな丸いやつ。
おしゃれなメガネをかけている人を見たとき、私は必ず確認することがある。
レンズがついているか、ついてないかだ。
息子さんは、「ない」に該当する人だった。
寿司屋の大将の息子さんのメガネにはレンズがなかった。
つまり、おしゃれだ。
それについての対応も対策もわからず、
顔をふせたところにちょうどお寿司が運ばれてきて、
一口ほおばるとすんごく美味しかった。
美味しい!
と思ってまた顔を上げると、また息子さんの顔があった。
するとそのメガネの、新しいポイントに気づいた。
針金でできていた。
寿司屋の息子さんのレンズのないメガネは、針金でできていた。
わたしは寿司に集中することにした。
わたしのしっているところを超えている。
【 おまけ 】
山梨の町内放送。さすが盆地。
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鎌倉に行ったら、駅前で栗山に会った。
「俺、医者に缶ビール止められてるんだ。」
と言いながら栗山は缶ビールを片手に歩いていた。
読んでいる本の続きを買いに本屋に向かっているというので着いてゆくことにした。
西口の本屋になかったから、東口の本屋へ。
本屋で栗山は3冊もの文庫本を片手に「あった!」と言っていた。
そして「俺さ〜、やっちゃってさ〜!
家にあった1巻を読んで、面白いと思って新しいのを買ったら、どうやらそれが最終巻だったらしくてさ!上杉謙信の親のこと書いた話なんだけど、なんか上杉謙信がもう大人になって活躍してるからさ〜、おかしいなとは思ったんだけどね!それ読んじゃったから、今その間を埋めてるところ!」
と、栗山は本屋で大声で自分の読書の現状を語った。
会計を済ませ、オススメのバーもしまっていたので
わたしのリクエストにより喫茶店に行くことに。
パフェを頼もうとすると、
「パフェなら〇〇(別の店)の方がいい。ここならホットケーキを頼むべきだ。」
と栗山は言った。しかしホットケーキの密度を受け入れる空腹のないわたしはチョコレートパフェを頼む。なおも栗山は隣の席のチョコレートパフェを見て、「クラシックだからやめたほうがいいんじゃない」みたいなことを言っていた。栗山は何にするのかと思えば、季節のパフェを指さしていた。
店員が「お決まりの頃にうかがいます」と言っていたのを忘れたのか、栗山は「すいません!」と声を上げ、それでも気づかれないともう1トーン大きく太い声で「すいませーん!」と叫んだ。
わたしは『仁義なき戦い』を腕が飛んだ序盤のシーンで見るのをやめてしまったが、出てくる男性はみなこんな声で喋ると思う。喫茶店にいるすべての客が、物騒な顔で栗山のことを見ていて、「この人はこれから、桃のパフェを頼もうとしているんです」と言ってあげたかった。
栗山は本屋でも、喫茶店でも、缶ビールを手放すことはなかった。
金属アレルギーの疑いがあり、背中にぽつぽつができているという。
季節が変われば治るといいね。
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2017年5月19日、下北沢lete、
酒井泰明さん(moools)とのツーマンライブ
ありがとうございました!
終演後、帰ったはずの酒井さんから電話があり、
「さいふ、わすれてませんか?」
と言われて会場を探したら財布の入ってないカバンが見つかりました。
(財布は手元にあったそうです。)
カバンの中に入っていた将棋セットで
わたしはこれから将棋の勉強をしようと思っています。
そういえば今回のタイトルの由来を言い忘れてました。
ざっくり言うと、酒井さんの夢の欠片です!
またやりたい、「テレポー定食」。
※ わたしのリハーサル中に将棋を打つ酒井親子。
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