2020年4月6日

エッセイだけどほとんど写真


DEKAKERU


太鼓がある。


久々の「淳」。


うん、私も同じ気持ち。


友だちが教えてくれた、岩本寺。の、木。


ひょうたん型じゃないけど、ひょっこり感はある。

それからただ海の動画。

 


畑。


人。


木。


もっと木。




友だちのおじいちゃんが、いつもおばあちゃんを迎えにいっていたというバス停。

ほんでやっぱひたすら海。



友だちは、カニを見つけるのが上手。


カニ。


アート作品っぽい。


知らない間に友だちがハートをみっつ書いていた。


え、なにこれ。

私も海を見ながら海の絵を書いた。


走る。




貝がらかと思ったら、


桜の花びらだった。


題名「ルー?」

飼い主はさながら宝塚のレビュー。


 

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2020年3月31日

みじかいものと苗字(3月の日記)

3月△日
2週間近くルスにしたので、家の掃除。
引っ越し以来1箱、まだダンボールから出していなかった本もすべて出す。
積んでいないだけで、読んでいない本がおぞましい数あることに気づく。


今日、東京で出会ったガジュマルの木が家にやってくる。

3月△日
日曜社へ。日曜社へ行くたびに
「なに〜?今日はお嬢様風やねぇ!」とか「今日は〇〇風」という風に店主が私のファッション寸評をしてくれるので、録音機を回しながら入店してみる。
するとただ「あやしい〜!」と言われたので、録音したデータを削除する。

店主から「何て呼ばれゆう?」と聞かれる。
いろいろとある呼び名を伝えてから、どうしてか聞くと、
「呼び方革命をしていて。」と店主が言う。
“〇〇さん”とか“〇〇くん”とかいうオーソドックスなもの以外で呼びたいということになり、皆に聞いているらしい。

例えばどんなのがあるんですか、と聞くと
「そうやねぇ、、あっくん、とか。あっくん!とか、40代で呼べんろー!!」
と店主はなぜか興奮気味。

私もせっかくだから新しい呼び名にしたいと思い、店主に考えてもらう。
私は「ひろきち」になった。
「ピョン吉、みたいでいいですね。」というと
えー!そんなとこからきてないでー!ぽじてぃぶーーー!
と後ずさりながら言われた。果たしてポジティブなのか。

3月△日
朝おかゆ、昼トマトクリームパスタ、夜パンをピザ風にして食べた

3月△日
今さら、自分の思っていた自分の苗字と、戸籍上の苗字の漢字が、一画ちがうことに気づく。変更はできるのか、市役所に電話すると、昭和56年10月1日から、タイプライターの台頭などにより戸籍上の漢字の整頓がされて、私の知っている本来の苗字の漢字は誤字とされ、今登録されている漢字が正字となったらしい。
「少しだけ、さびしいですね。」
と言ったら
「さびしいですね。」
と返してくれた役所の人に好感。ありがとう。知れてよかった。

3月△日
何をやって6時になっていたのかわからないが、久しぶりにオール(?)ALL(?)表記何? 朝まで店にいた。「これは徹夜といっていいんでしょうか」と店の人に聞いたら「いいでしょう」と言っていたからそうだと思う。徹夜して迎えた朝はとても美しかった。

3月△日
朝パン、昼寿司、夜カレー、そしてビールビールビールテキーラ

3月△日
この3月はこれまでの人生を振り返ったなかでもとにかく家にいることが多かったので、明日遠出をすると思うと興奮してまったく眠れない。眠れないとき、新しい文章がバババーッと頭の中で洪水のように流れ始める。だけど書き起しはしない、眠いから。それに書き起こそうとするととたんに出てこなくなるかまったく別のものになる。不思議だ。たぶん声にしたところで書いたところでそれは同じ。
流れ出る文章と同様に最近あったわけのわからない面白いことも思い出す。
あれってなんだったんだろうと思って笑い出してまた眠れず。

3月△日
一睡もできないまま徳島へ。
ミキティの個展。来週にずらすこともできたけど、3月22日、
なんとなく数字の並びが好きなので今日がいい。一睡もしてないとしても。
安全運転で行く。途中15分間、パーキングエリアで、寝たか寝てないかわからない感じの仮眠をとる。安全運転のため。

店に入ると左奥のテーブル席にミキティが座っていて、
目もあったがよそよそしく会釈される。
これは、さては、最近前髪も切ったし、伊達メガネもかけているから誰か分かっていないな!?と思って中腰でそろそろと近づいていくと
もうすこし手前に立っていた白いワンピースの人が振り返り、それがミキティだった。
私に会釈したのは双子のマキティだった。分かっていなかったのは私のほうだった。

絵ではわかりづらいが、とてもよく似てる。

やっぱり行ってよかった。
友だちの絵が見れるなんて、とても幸せ。
好きなネコや植物が前を向いたタッチで描かれている、
背後からはそれを書いた友だちの声がする。
私は絵を見てる。


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2020年2月10日

2019年10月の東京、移動の記録

東京に来て何が大変って移動だよね、移動。

11:30到着予定の飛行機の何かしらが遅れたらしく、
飛行機は11:50に羽田に滑り込み、
前回の教訓(東京は時間が経つのが早い)を活かして迅速に移動。
心がけの成果あって13:00頃には今日の宿に。
ギターとスーツケースを置いてすぐに出かける。

13:30
すごくお腹がすいていたが
大学時代の友人たちがいまさらバンドを組んだ。J-japan(バンド名)。
そのJ-japanが練習しているスタジオに遊びに行くことになっていた。
すごくお腹がすいていたがスタジオが15:00までとのことなので、
牛丼にする。テイクアウトにする。

14:30

「はまちゃん、ELTでも歌う?」
といってELTを歌わせてもらった。

ELTにここまでこぶしを入れるシーンがあるものかは

歌詞なしで2番までしっかり歌えて
自分で引いていたら「それがJ-popの力だ」とJ-japanの面々が言う。

スタジオという場所を堪能し、16:00、
美容院の予約をしていたので移動。
パーマ後、美容院でシャンプーをしてもらっている時、
スタッフの女性から「店長の〇〇からクレンジングをサービスで、と言われております」と言われて
「やはり遠方から来たからかしら!?」
と思ったら後ほどカット中に店長からさっき顔に垂れてきていたパーマ液を拭くのを自分でやってくれていたからと本当の理由を聞いた。これから美容院に来た時は自分の仕事を率先して探そうと思った。
私の髪をいじってくれている店長は最初はカリスマと思って敬遠していたが、年々なかなかスムーズにコミュニケーションがとれるようになってきた。今、副業を考えているらしい。「なんかいいのないかなー!」と言う。

美容院終わり、18:00
西の方に移動。
知り合いのライブ。

「シェモワ阿佐ヶ谷」という会場を目指して歩く。
歩く、歩く、歩けば歩くほど、路地と住宅街に入っていく。
ほう、こんなところに、おしゃれなバーはある。
そうだ、こういう、気づきづらい住宅地のなかにこそ
ぽっつりと、雰囲気重視のバーはある。
そう思いながらどんどんと集合住宅のなかを歩きつづけていたが、
携帯電話が目的地についたと言い張ったときも
目前にあるのは集合住宅だった。

ライブ会場と同じような名前のマンションが、あった。
(たしか高知を出る前に調べたときは
駅からして阿佐ヶ谷だったじゃない。
どうして気づかないかというと移動しすぎているせいだ。)

東京〜〜〜!

東京へのつっこみもそこそこに
私は走り始める。

幸いにも会場はそこから歩いて20分
走れば間に合う。
足がいたい。
靴がきついからだ。

入り口前にできていた列に並ぶも、
本番前の彼は私に気づかない。
会場に入り、座ってしばらくしたら
なにかのタイミングで気づいた彼が
「もっとオーラ出せよ!」
と言った。
そうでなくても私は気づかれない。

ライブ後、J-japanの面々とふたたび落ち合い、
お酒を2杯だけ飲み、ホテルへ。

ホテルも楽しもうと冒険をした結果、
黒い壁の部屋をあてがわれた。
夜中、8回は覚醒する。


2日目

菊川へ移動。
さらに菊川駅から10分歩いて、MOT(東京都現代美術館)へ。
ダムタイプ展に来た、と思ったらダムタイプ展は11月16日からだった。
MOTは開いてさえいなかった。どうしてこんなことが……。
一旦途方に暮れる。隣接の公園のベンチに座ってみたり、
フレッシュに運動する人々をすごい遠い目で眺めてみたりする。



犬も、「あの人ダムタイプ展の日程まちがえてたんだって」
「ウソ」「ホント。」「うぷぷ」などと話しているように聞こえる。途方に暮れる。
私はフォークギターとスーツケースと、なんなら傘をもっている。
途方に暮れて、母親に電話などしてしまう。

仕方がないから六本木でやってるバスキア展に行こうかと思う。
荷物が多い中、今度は清澄白河駅まで、20分近く歩く。
足がいたい。今回、きつい靴をはいてきてしまった。
どうしてきつい靴を遠方にはいてきたのかと昨日から自分に問いかけているが
「オシャレだから」という答えしか自分からは出てこない。足がいたい。
フォークギターとスーツケースと傘とショルダーバッグを引っさげて私は大江戸線へともぐる。
1駅、、2駅、、電車の中で私は六本木くんだりの銭湯を調べている。
目ぼしいところが見つからない。荷物は少なくなく軽くもなく、私の足は痛い。
「バスキアは、仕方なく行くところではない」
というまっというなメッセージがもしかしたらバスキア本人からもたらされる。
電車を荷物丸ごと降りる。また逆方向の電車に。
ふたたび清澄白河に舞い戻った私は、これからは軽いものを買おうという決意も新たに歩き出す。
本来行く予定だった美術館の帰りに行こうと思っていたインド料理屋に電話をかける。
開いていなければ徒労になるからだ。早速の学習はフル回転。

私 「もしもし、こちら、ナンディニさんの番号ですか?」
店側「はい。ナンディニさんの番号です。」

こういう、そのままの復唱って好きだ。

そのあと、1時間半、インド料理屋に。
それから、2時間、銭湯にいた。
そこで20分くらい死体のように寝た。

夜、メヒカブレスタンダードのレコ発ライブの本番。

本番後、
こんなにあわててる人見たことないというくらい早いスピードで荷造りをし、
22時に会場を出る。
友人の家で、光の2重スリット実験を行うことになっている。
実は私はその実験のために、ライブ中のDJタイムに全力でTOKYU HANDSまで走ってろうそくを買いに行っていた。
今宵、メキシコのイメージだけで家の中にあるメキシコらしい衣装を組み合わせていた私は、
友人いわく「西部演劇に出てくるカウンターの女」らしく、
30%が仮装をしていた渋谷の町のなかで、
ろうそくを買いにいっているだけの私も、初めてハロウィーンの一員になっている可能性があるのかもしれないと走りながら思った。


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2019年12月19日

ひとこと動物園日記

2019年12月14日

家を出る前はあれもしてこれもして、と楽しみにしていた関西ツアー。
いざワンマンライブをして朝を迎えて
京都から神戸に移動していたら
予想以上にへとへとなことに気づく。

今日のライブまでの空き時間の予定は
【「横尾忠則美術館」に行く。】

だけれど美術館の最寄り駅で降りて歩き始めても、
一歩一歩歩くたび、疲れていることだけが明らかになって、
こんな私に横尾忠則のオリジナリティ受け止めきれるかしら
とふらふらしていたところ目に飛び込んできたのが
「動物園入口」の文字。

いざなわれるように入口へと吸い寄せられてみたものの、
入口前で立ち止まっているのは荷物が多いから。
(ななめかけのカバンに、スーツケース、そしてギター)

入口でチケットを確認していたお姉さんに
「すみません、荷物を預けられるところはありますか?」
と尋ねると、
「コインロッカーがありますよ。」
という答え。
もちろんわかってはいるんだけど、
「このギターも、、?」
「あ、入らないですね。」
わかってはいるんだけど聞いてみたの!

荷物を預けられる横尾忠則か、ギターを預けられない動物園。

天秤にかけた結果、動物園へ。

(さらに…)

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2019年12月12日

よっちゃんへの手紙

よっちゃんへ

昨日は電話、ありがとう。
アグネスチャンさんの息子さん3人ともスタンフォード大学卒業って、すごいね。
よっちゃんがしてくれた話、印象に残っています。
アグネスさんが子育ての上で子供からの質問にはどんなときでも子供から何か質問されたら「よく聞いてくれたね。」といって何をしているときでも応じる、チンジャオロースはピーマンのいため方が命だけどそのピーマンを炒めているときであっても「よく聞いてくれたね。」と応じる。しっかりと話をして、し終わったらピーマンは死んでる。それでも応じる。その話。
あとはアグネスさんが刺激を大切にしていたという話。たとえば食事も、いつも決まった席で食べるわけじゃない。なんだったら階段で食べてみる、とか。あとは朝のメニューも、今日目玉焼きだったら明日はスクランブルエッグ、次の日はそのスクランブルエッグにカレーをかけてみる、など。毎日の“刺激”を大切にしていたという話。
私もよっちゃんと電話をした翌日の今朝、久しぶりに4度寝をして、起きるのがギリギリになってしまいました。だけどお腹はすいていたからキッチンで卵かけごはんを食べました。そしてヨーグルトを3口で食べました。“刺激”だと思ったよ。今日もいい一日をね!

ひろこ


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2019年9月1日

お盆日記

=お盆某日

犬の墓参りに。
土佐山という、市内から車で40分ほどのところに行くとある。
ララの死に際にも帰省しないような"演劇バカ"だった。
その反省は今も胸の中にある。
演出家コンクールの上演の際には大事にしていた祖母のペンダントをなくした。
そして10年以上が過ぎた今日、犬の墓参りに。
一度来たことはあるけれども全く記憶がない。
母に「ララの墓はどこか」と聞くと「単体の墓はない。本堂にいけ」と返ってきたので、
草むしりをしていたおじさんに「本堂はどちらですか、」と聞いて案内してもらった先は、
ガラス張りで、会ったこともないたくさんの犬の写真や、いろんな形の折り紙やお菓子やフードが飾られているファンシーなショーウィンドウだった。
どうもしっくりこなかったので、もうひとつ別の場所にあった祠のような場所に、
摘んできた花を飾って手を合わせた。
ララは、もうここにはいないような気がした。

せっかく土佐山まで来たので、オーベルジュというホテルのお風呂に入って帰る。
露天風呂へ行くと、少し離れた場所の山道が見えた。
つまりその山道から、露天風呂が見える。
こういう田舎の温泉は絶対に見えるスポットがあると踏んでいる。

=お盆某日

何かを乗り越えたいような気持ちになって、
この漫画を全巻借りてきた。

どうやって知ったかも覚えていないけど、
ある年齢のとき、ここにあるエロは私の範疇を超えていた。
大人になって改めて読み始め、気付いたら外が青白み、5:30になっていてただ引いた。

====
お盆を書こうと思って書き始めた日記は2日ほどで止まっている。
台風と墓参りと漫画と読書とDVDと睡眠の日々だった。
つまりすごく久しぶりに、とてもお盆らしく過ごせたのではないか。
だから自身の、小5の夏休みの日記を、全文掲載します。

7月20日
今日は、竹村さんの誕生日会に行きました。竹村さんは楽しかったでしょうか。

7月21日
今日は、水泳をしてから男子と遊びました。そして今日から、天王にとまることになりました。

7月22日
今日は、昨日とほぼ同じで、水泳をしてから遊びました。

7月23日
今日も、やっぱりほぼ同じで、水泳をしてから遊びました。

7月24日
今日は、水泳をしてから英語に行きました。英語では、1人やめる人がいたので、パーティーをしました。

7月25日
今日は、水泳をしてからセミとりに行って、つかまえたセミはララにやりました。おいしそうに食べていました。けど、ちょっとむごいかもしれません。…

7月26日
今日は鏡川祭りに行きました。とちゅうで、はぐれてしまったので、ちょっとしか楽しめませんでした。

7月27日
今日は、遊びました。最近女子もじゅくとかでなかなか遊べないのが残念です。

7月28日
今回あらためて鏡川祭りに行きました。今回は、何も気にすることはなかったので、とても楽しかったです。

7月29日
水泳をして、図書館に行きました。図書館は久しぶりだったので、たくさん(まんが)の本をかりてしまいました。その後ゲームをしたりして遊びました。

7月30日
水泳をしてから図書館へ行ってセミとりをしました。そしてやっぱり犬にやりました。

7月31日
水泳をしてから遊びました。最近、なんか、いっていの感じになっている……と思っています。

8月1日
水泳をしてから遊びました。じゅくも3時ぐらいに終わってくれりゃーいいのに…などと文句を言いたい気分ですね…。

8月2日
今日も水泳をしてから遊びました。もう思うことはそんなにありません……。

8月3日
今日、水泳は休みだったけど、やっぱり遊びました。

8月4日
今日も、水泳は休みだったので、遊びました。

8月5日
今日は、家の中でのんびり過ごしました。
でも……勉強はしませんでした。

8月6日
今日は登校日でした。そして、プールそうじをしました。プールは少しきたなかったけど、気持ち悪い虫がたくさんいた、1回目のプールそうじの時よりも、ずっと良かったです。

8月7日
今日は、ゲームをして遊びました。そろそろ、宿題を仕上げないといけないかなぁー。などと思いながら、全然やっていない自分がなさけないですね・・・。

8月8日
今日も、また また また また 男子とゲームをして遊びました。

8月9日
今日は、仁淀川へ行って、泳いだり、カレーを作ったりしました。カレーは、まぁまぁという所でした。カレーを作ったり泳いだりして、いい経験になったし、とっても楽しかったので、いい思い出になりました。

8月10日
今日は、家で少し勉強をしてから、のんびりしました。

8月11日
今日は、結ちゃんのお父さんのお店の手つだいに行きました。そのお店に手つだいに来ていた女の子は、話しているうちに〇〇小学校で友達だった人ということが分かりましたが、私は全っ然覚えていませんでした。

8月12日
今日は、男子たちとあと1人・・・結ちゃんと遊びました。やっぱりゲームとかでしたが・・・

8月13日
今日は雨だったので、家でテレビを見たりして、のーんびりすごしました。

8月14日
今日は、男子と結ちゃんで遊びました。

8月15日
今日、三季ちゃんと、英語の友達の寛世ちゃんで、サンピアに行きました。なんだか、その1日は、あっというまに時間が過ぎました。

8月16日
今日は、サティに行って、その後に図書館に行って、その後に奈美ちゃんの家に行って遊びました。

8月17日
今日は、家で1/3勉強をして、のんびりしました。

8月18日
今日は、筆山ふるさと祭りがあるのも忘れて、男子と遊んでいました。

8月19日
今日から水泳の練習が始まりました。がんばろう!!!と思っていたのはいいのですが、けっこうきつかったです。

8月20日
今日は、1㎞くらい泳ぎました。なんだか水泳記録会に出る方向に行くような気がして、なりません。

8月21日
今日は、春野へ行って泳ぎました。2回行ったけど、やっぱり深くておそろしかったです。

8月22日
今日も1㎞以上泳ぎました。そろそろ、つかれが出てくるかも…と思っています。

8月23日
今日!25mの記録で、19秒で泳げたのが、すごくうれしかったです。

8月24日
今日は、にいはまの化学博物館へ行き、いろいろな物をそうさしたり、見たりしました。まあ、遊びかんかくで行きましたが、とっても勉強になりました。

8月25日
今日は、やっぱりのんびーりしました。私が思うに、3回ぐらいのんびりしたのにちょっとしか勉強してないので、最後はどうなるのでしょうか。

8月26日
今日は午前中とかのうちにビックリ箱をつくろう!と思って、箱を作りました・・・。が!ばねが売っていなかったのです!だから、空の絵を書いて、箱を作りました・・・。

8月27日
今日からまた、水泳の練習が始まりました。ちなみに、後ちょっとで絵が終わるので、がんばらなければ!と思っています。

8月28日
今日、水泳もあるのですが…、実は!今日!愛鳥週間の絵が終わりました。すごく幸せです。

8月29日
水泳の練習がありました。だんだん、私が出るようになってきました。

8月30日
もう水泳の練習も最後です。自分では、スイミングとか行ってないのに、よくやった!と思っています。甘いでしょうか。

8月31日
今日は星を見る会でした。海では、びしょびしょになっちゃったけど、星はとってもきれいでした!


9月1日
今日は、ちょっと具あいが悪かったので家で残りの宿題をしました。夏休み最後の日は涙をのみました。

おしまい

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2019年7月15日

財布

すっっっっごく久しぶりに財布を買った。黄色の、長財布。
いろいろなファニーが起こっていま無職だけど、これからの輝かしい未来のために買った。
無職だけど、インターネットを開いて、"財布 使い始め"を調べた。
初めてお金を入れるのは大安の日。
そしてできるだけ多い(かつ背伸びしすぎない)額の新札を入れるとよいとあり、
銀行に行き、ただ財布に入れるためのお金数万円を引き出す。
新札に変えるには窓口を利用しなきゃだったからできるだけきれいなものだけを選んで、財布に入れて、押入れの天袋に入れて数日おいた。なんなら途中で一度出し、さらに追加で数万入れた。
そして迎えた2度目の大安の日。私は財布を出し、息をさせる。
必要最低限の最低限に絞ったカード類を入れ、用意は万端。
さて、次は使い初めをどうするかだ。そうだ、いつも私の弱音を聞いてくれる母に、モーニングをごちそうしよう、それがいいと思った。
翌朝、いつものモーニングの店で待ち合わせをし、それぞれの注文をし、なんてことない会話の合間に私は満面の笑みでかばんから財布をお披露目する。チラッ。
「これ、、見てっ!」というと母は「お金ないくせに。」と言った。
私はモーニングを食べながら、泣いた。

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2019年4月28日

タピオカ

タピオカの話になる。
くみさんは渋谷でときどきタピオカドリンクを買い、
授業中に飲んでいるそうだ。
教わる側でなく、教える側なのに!!!

「タピオカを飲みながら授業をする先生なんて見たことない。」そう言うと、

「中身見えないから。」とくみさんは言う。
「ホットだから。」とくみさんは言う。

じゃあただ何か不明な飲み物を飲みながら、
何か不明なものを噛んでいる人として
くみさんは教壇に立っている。

あの人何か噛んでる・・・。
何か飲み物を飲んでるのに、
同時に、何か噛んでる・・・。

ぐにぐにしたものを咀嚼しながら教壇に立つ人間。

ガムを噛んでいる人が
コーヒーを飲んでいると想像したときの口の中のなんとも言えない苦味の広がりを感じて
授業に集中できなくなっている生徒を想像する。

いまのところ恐らくくみさんのあだ名は
ガムあるいはグミ先生、
中身が判明し次第、タピオカ先生になる。




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2019年4月22日

幸せすぎる4月

4月、幸せすぎる。

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2019年4月14日

お別れ会症候群

 

友人からメールがくる。
「浜ちゃん、いつまで東京いるの?」

「4月いっぱいですよ」
と返す。

「そっか。もうすぐじゃん。あいてる日曜ある?」
と返事がくる。

「×日ですかね!」
と返す。

「そっか!みんなに声かけてみるね。」
と返事がくる。

それから、気持ちのざわざわが始まる。
どうしよう、みんな、私のために、集まってくれようとしている。
ざわざわが止まらない。

同じ友人から新たにメールがくる。
「俺の夢は浜ちゃんとカラオケに行くことなんだけど、やだ?」

「もちろんいいですよ!

 心をこめて歌いますね。」
と返す。

その間も心のざわざわは起こったままだ。
みんな、私のために、
お別れ会を。

どうしよう。

小学1年生のとき、初めて(自分の)誕生日会を開いてもらった。
翌日、学校に行くと、友人たちがゴム跳びをやっていて、
「入れて〜」
とかけよったら、皆が鬼の形相で、
「寛子ちゃん昨日えらそうやったき、入れちゃらん」
と言った。えらそうだったから、ゴム跳びに入れてもらえないそうだ。
どうして、ただ誕生日会だっただけなのに。
母が唐揚げやその他皆の喜びそうなものをたくさん用意していたはずなのに。
私が誰かに命令したり、王様ゲームで自分だけ王様になるなんてこともしていないのに。
そもそも王様ゲームをしていないのに。
「ごめんね」
私はすぐに謝ってゴム跳びに参加した。
だけど今もその違和感や緊張が、コーヒーに入れすぎた砂糖みたいにだらりと残っている。
だからだろうか。

自分が中心の何かは
いつも以上に約束のリスクが大きい。
当日の欠席は絶対にゆるされない。



時間が経つごとに、4月、やることが案外多いことにも気づく。
こんな中、果たして私は私のお別れ会に参加することができるのか。
すごい心配が募る。
そんな中、メッセージ性の強い写真展を見たりして情緒が乱れる。
メッセージ性の強い写真展は生や死を深いところまで観察する。
私は、お別れ会を・・・。
みなさんのスケジュールもあるだろうし・・・。

ざわ
  ざわ


メッセージ性の強い写真展を見た夜、友人に電話をかける。
「ちょっと実は今こんなことやあんなことをやってまして、
 あとは、やっぱり寂しすぎるから、×日、ごめんなさい、難しそうです。」

「そっかそっか、じゃあやめといた方がいいね。オッケー!」

やさしい。。
なんていい友達をもったんだ、私。

その夜は、なかなか眠れなかった。
メッセージ性の強い写真展を見たことも関係していると思う。

翌日。

断ったお別れ会が
頭の中から離れなくなる。
せっかく企画してくれようとしたものを
本当に断ってよかったのか、質問に質問を重ねる。
スパークリングワインの触れ合う音や
友人たちの必要以上の歓談や笑い声が
頭の中で二日酔いみたいにこだまする。
断ったパーティーは永遠だ。

「そうだ、あの人の夢を叶えると思えばいいんだ」

数日後、私はひらめく。
毎日断ったお別れ会が頭の中で開かれて困っている。

「友人のカラオケの夢を叶える会」

そう思えば俄然、参加の意欲が湧いてきた。
そうだ、友人の夢を叶える会。なんて素敵なんだ。
私は立ち上がりすぐに、友人が声をかけたであろうそのまた友人たちに、
メール、ライン、メッセージ、ありとあらゆる手段を使って連絡をする。
「今週の日曜日、あいてますか」

「それ、浜ちゃんカラオケ、なくなった日やろ」
「日曜、△君からご飯とカラオケ誘われてそして中止との連絡が立て続けであったよ」

「その中止のすべては、私が言い出したことです」

私は中止の中止をここに高く掲げる。
みなさんの予定を、満を持して抑える。

一人の友人はこう教えてくれた。

「△くんから、おすすめのカラオケ屋さんあるかって聞かれたよ」

カラオケ屋まで調べてくれていた。
私はためらいなく、自分を責める。
そうして皆のスケジュールを確認した夜、意を決して、
最初の友人に、電話をかけた。

「私、△さんの夢を叶えたい」

「え、そーなの? いいの?」

「うん、お別れ会じゃないと思ったら、全然大丈夫です」

「え、俺、お別れ会なんて言った?
 お別れ会なんてつもりさらさらないよ。まだ二週間もあるじゃん。」

そうか、と思う。

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