2023年1月15日
2020年春、コロナより失恋が痛い
2020年4月22日
正直、コロナどころではない。いや、私も蚊帳の中の人間だし、インドアを努めてはいるが、
意中の人と、連絡がとれなくなったのだ。約10日になる。いや、完全に音信不通というわけではない。たまに返事がくる。元気だよ、とか体調不良です、とかそんな感じの。だけどどうして、彼と私は毎日連絡をとっていた。ラインなり、電話なり、そのいずれか、あるいは両方。それが10日前から、二人の関係の歴史において初めて2日もの間ラインが未読となり、電話はつながらず、時折やってくる返事は必要最低限のもの。—— 一体、何が??
10日という時を要さずとも、私はただの2日ラインが初めて未読のまま放っておかれただけで、頭の中身をフル動員させた。2日ラインを未読にされたことがはなはだ嫌だったし、彼の身を案ずる気持ち、また最悪の事態への備え、最悪の事態にまつわる想像、万が一何事でもなかった場合、2日ラインを未読にすることは嫌なのだと伝えるのか否か、伝えるとすればどのように言語化すれば相手の気分を害さず関係を良好につづけてゆけるか、冷静になるため紙に書き起こそうとするとただ「す、き」の二文字しか書けなかったりした。
ふむ。
その「未読の2日」だけでも私の睡眠や食事には十分に支障をきたしていたが、未読が既読になった2日を過ぎても彼は明らかにいままでとは違っていた。送ったラインに返事がなかったり、返事がきたら「体調を崩した」とあって"謎はすべて解けた!"といわんばかり急いでうどんのスープと梅干を買いに行って郵送しようとしたらやんわり断られたり、朝方まで話していた電話には一切応じてくれず、連絡がほしいと言ったら体調かコロナの情勢などが文で返ってきた。
そんな風にして約10日が過ぎた。
限界だった。
しかし誰にも話せなかった。
今までも彼のことを人に話したことはあったけれど、
それはただの悩みか迷いか楽しみなのだと知った。
まるでモヤのような現状を、誰かに話すことで形をハッキリさせてしまったり、自分の気持ちが不本意に曲がったりするのがいやだった。話せるとすればそれは親しい人で、その人たちが何かを言ってくれて、それに影響を受けたり、それにお門違いな不満を抱いたり、言葉にすることで何かをハッキリさせてしまうことが嫌だった。
だけどあらゆる角度から「限界」の顔がちらついていた。
夜眠れないこと(それはしばらくつづく)や、お腹が痛くなる時間も増えた。
かたや彼とは連絡がとれないし、彼のことを思ったらなおさら連絡がとれない。
そんなとき、アルコール中毒の人と出会った。
この人だ、と思った。
この人になら、話せる、
ただ、藁をもすがる思いだった。
私はその日幸いアルコールを飲んでいなかったので、
居合わせた飲み屋で、
「私がその人を車で送っていきます」
と手を挙げ、その人を乗せて、海を目指した。
運転席から、聞いてください、最近こんなことがありまして、と、起きたことを述べると、
「カットバンで血が止まったら、カットバンの会社なんてない。」
とその人は言った。
「台風の一歩外出てみい。風ブューブュー吹いてるわけね。
ドボドボ血が流れゆ。だから、そういうことです。」
台風の目にいるから、私はそれに気づかないらしい。
「フラれたことを、人生にするの。」
とその人は言った。それは救いだと思った。
「僕ねぇ、もっと見せたいもんがある。ちょっと待ってよ。」
と言って、浜辺にゲロを吐きに行った。
いつも失恋のあとには思うことがある。
槇原敬之はよく「もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対」なんてよく言ったな。
※カットバン:高知でいう、バンドエイドのこと