2020年6月28日

悩みがあるのだが

悩みがある。

朝の6時台に、隣のマンションの住人が玄関の扉を開け、
数人が大きな声で行ってらっしゃいとか、
はたまた子どもが行かないでと泣き叫ぶなどを繰り広げるのだ。

それで、起きる。

平日は毎日だ。

6時台は、早いのではないだろうか?

友人・浅野に相談する。

「それは、やだねぇ。たしかに6時は非常識と言っていいかもねぇ。」
「だけど、やだって言いづらいね。行ってらっしゃいってすごく幸せな光景じゃん。」

といいつつ、浅野はふたつの案を提案してくれた。

その1、
早く起きる。
先方より早く起きる。
「早起きになっていいかもしれないよ、ハマー」

その2、行ってらっしゃいと言う。
そちらの朝の放たれる大きな音によって起きてしまっていますよ、
やめてほしいですよ、ということをアピールするため、
行ってらっしゃいの儀式が行なわれているときに私も玄関から顔を出して行ってらっしゃいという。
「3日くらい続けたらやばい人だと思われて、こそこそしてくれるかもよ?」

ふむ。

その1に関して。
私もその案を考えてはいたが、改めて友人が提案してくれるとなんだか底知れない喜びを感じた。

その2に関して。
これは、問題がある。まず、起き抜けにそれほどの瞬発力がないこと。
主に子どもの声で目を覚まし、事態を把握するのに数秒。それからベッドから身体を起こすのにおそらく1分近くかかる。そして立ち上がり、玄関まで行って扉を開き行ってらっしゃいを言う。その頃にはお父さんだか誰かはすでに駐車場あたりまで辿り着いているか、車のドアに手をかけているか、少なくとも隣の玄関周りには誰もいないだろう。私は幻の存在に行ってらっしゃいを言う奇妙なフェアリーとしてマンション史に名を残す。

その2についてはもうひとつ、問題がある。
仮に私の行ってらっしゃいが間に合った場合、
見知らぬ人から行ってらっしゃいを言われたお父さんはきっと戸惑うだろう。
髪がボサボサで、上の服を下のズボンにインした形でパジャマを着こなす名前さえ知らない女に恐怖すら覚えるかもしれない。
それでも……、「行ってきます。」と言うと思うのだ。彼は。
あまりのとっさの出来事には、習慣が勝ると思うのだ。
いかに見ず知らずの、あやしく、初対面の人間であろうと、
「行ってらっしゃい!」と突然言われたからにはこう返すと思うのだ、
「行ってきます。」。私はその(私から見ても)見ず知らずの男性から恐怖あるいは戸惑いの表情を浮かべながら行ってきますと言われるのが極端にいやだ。すごくいやだ。予想するだけでいやだ。

今、5時半に起きている。