2020年4月15日

調律師の人

2020年3月11日(水)

「演奏はされないんですか?」
私は、この調律師の人に、同じ質問をしたことがある。

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東京や高知をピアノも一緒に移動してもらったことがあり、
なかなかできていなかった調律をした。

なんと20年ぶりらしい。
音楽をやっているものとしては完全に恥ずかしい年数だ。間違いない。
でも今日調律をしたのでチャラになる。よろしくお願いします。

それにしても、調律師さんに調律をしてもらっているときというのは、
依頼側はどのように過ごしていたらいいのかが今ひとつ分からない。
昼寝しようにも熟睡してしまったら困るし、
家事をしようにも先方に絶対音感がある場合、水の音さえ調律の邪魔になる。
結果、傍で静かに本を読む。

『いのち愛しむ、人生キッチン
 〜92歳の現役料理家・タミ先生のみつけた幸福術〜』

 もし無人島に、手提げバッグ1つ分の荷物だけ持って、住むことになったら? そうですね、わたしだったら、籾がらつきの稲、野菜の種、塩と油、それに銅鍋とマッチをバッグに入れていきます。(中略)便利なものがなければ、人は工夫するんです。

 何しろ「手に勝る道具なし」です。わたしたちには、せっかく働き者の手があるのに、手を使わないなんて、もったいないじゃない。
 手で食材に触れて鮮度を見極めたり、手をかざして火の温度を感じたり。それから掌や指で長さを測り、手に持って重さを量ったり……。 せっせと手を働かせ、からだで覚えた積み重ねの感覚は、何年たっても忘れません。
 無人島に行って何もなくても、「このふたつの手という道具があれば、なんとか生きていける」と、のんきにつぶやけますよ。


・・・
ビヨーン、ビヨーン、ミョンミョンミョン、
普段は閉じられた枠が開かれて、ピアノはそもそも弦楽器なのだと思い知らされる。私の一室に、人の手や工夫がないと鳴らない音が響く。しかし1時間半もすればさすがにピアノの調律の音だけが響く空間が沈黙とも感じられるようになってきて、洗面台で手洗いの洗濯をしようとしていた頃、調律が終わる。

「演奏は、されないんですか?」
以前も同じ人に同じ質問をした気がする。
だけど話の導入として聞いてみる。
「いえ、まったく。」
やはり、前回もそう答えていた気がする。
「どうして調律の道に?」
前回は聞いていなかったけど、私の聞きたかったのはこれだと思う。

「高校のときにピアノを習っていて。
高校2〜3年になったら進む道を決めるような雰囲気が出てくるじゃないですか、
そのとき、ピアノの先生に『調律師になったら?』って言われて」
と調律師の人は言った。

「ピアノは小さい頃から?」
「いえ、高校のときだけです」
「じゃ、どうして・・・」
「家にピアノがあって、何か調子がおかしいと思ったら自分でピアノを開いて調整してたんです。それを先生に話したことがあったから、それで」
「自分で、調律を!!」
そう驚くと、調律師の人は、
「はい。家電も分解しまくってましたから。」
と言った。

「・・! 家電まで、修理できるんですね!!」

またも驚いて言うと、

「いえ、家電は分解するだけです。」

「?」

それから調律師の人は言った。

「ネジをゆるめるのが、すきなんです」


———ネジを、ゆるめるのが、好きだから。


ひとつの職業にも、はじまりの場所は人の数だけある。

調律師の人のカバン