2013年7月3日
2013、春のツアー2日目「貼り紙」
謎の腹痛に見舞われながらも、無事、1日目のライブを終え、
翌日は一人で京都の町をぶらぶらした。
昨夜ライブを見に来てくれていた山ピーが、新しい自転車を買ったというので、
昼からそれに乗って町に出た。
やはり京都は自転車がよい!
京都に住んでいた頃、
足繁く通っていたタイ料理屋で一人遅い昼食をとり、
朝からずっと食べたかったガパオガイを注文、
料理が来て私が食べたかったのはガパオガイではないことが判明、
ガッカリしたが全部食べた。
タイの料理名はカタカナが多い。
私の食べたい料理は一体何ていうカタカナだったんだろう。
店を出て、
山ピーの自転車にまたがり行き先を考えていると、
そういえば今日、知り合いの人々がワークショップをやっていると言ってたのを思い出した、
会いに行ってみる。
京都に住んでいた頃、私が何をやっていたかというと、大学の授業を受けるか、パンを食べるか、
コンテンポラリーダンスを踊っていたのだ。
本日、国際的なワークショップを行っているらしい芸術センターには
当時お世話になったメンツが何人か存在しているはずだった。
途中でお土産をと思い、好きだったパン屋に寄ると、店は閉まり、
扉には張り紙が貼られていた。
そこには、
「長年の夢だったドーナツ屋を開きました。」
と、2年前の日付と共に書かれていた。
また自転車で約5分。
そのドーナツ屋に行くとドーナツは全て売り切れており、
かろうじて残ったラスクを2つ買って、また外に出た。
芸術センターはワークショップで賑わっているのか、
駐輪場にはたくさんの自転車がひしめきあっていた。
馴染みのある門から建物までの道を歩く。
入ってすぐ左手に位置する講堂には、扉に手書きの文字で
「見学ご自由に」
という貼り紙があった。
休憩時間まで、お言葉に甘えて見学することに。
中ではイスラエルのダンサーがワークショップを行っていて、
内容は、参加者の内一人が思いついた踊り/動きを一度だけ見せ、
それを皆で一遍に再現する、というものらしかった。
他のワークショップも受けず、ただ純粋に見学をしている者はどうやら私一人で、
私と何人かのスタッフを除くほとんどの人間(約30名)が同じような動きをしているというその光景は、
踊っていた当時こそ当たり前だったものの、
ダンスから離れた日常生活に勤しんでいると、異様にうつった。
そしてこれほど「踊りたい人がいる」という事実になんとなく驚く。
15分程で休憩時間がやってきて、見渡すと、
知り合いの内の一人、オジーの姿が目に入った。
今日も制作を担当しているのであろうオジーが、
受講者らしき人とやり取りしているのを近くまで行って待ち、
今だというタイミングを狙って声をかけた。
「オジー!」
するとオジーは
「……。」
ただ私を見ていた。
その顔は明らかに初対面の人に向けるそれだった。
私は仕方ないので名前を名乗ることにした。
「私だよ、浜口寛子だよ。」
するとオジーの顔には表情がようやく灯って
「はまちゃん!!?」
いつものオジーになった。
少しばかり立ち話をして、
その他のダンサーの方々にも
「こんにちは!」と挨拶をして、
一瞬の「?」を確認の後、すぐに「浜口寛子です!」、
と自己紹介をした。
認識してくれると、みな当時の笑顔を見せてくれるのだった。
私にも張り紙が必要だったかもしれない。
いつか好きだったパン屋の長年の夢だったドーナツ屋のかろうじて残ったラスクをそっと渡して、
会場を後にした。