2020年6月11日
山田
友達が「何もしてないってことはないよ」と言う。
わたしはそれを近くにある紙にメモする。「なにも、してない、ことは、ない」
するとそれを見た友達が、「たしか昔も喫茶店でそうやってメモしてたね」と言い、私はたしかいつかも誰かが私に「何もしてないときはない」と言ってくれたことを思い出す。山田だ。
山田は大学1年のとき、第2外国語で選択していた中国語の授業で出会った。
山田は秋田から出てきたばかりの男で、私たちは何がどうかはよく分からないけどとにかくなんとなく気が合い、多分いろんな話をした。
高校時代の名残で唯一ドッキリ誕生日会を企画し開催したのも大学時代では山田が最初で最後だったと思う。「こんなことは初めてだ」と言っていた。
とにかく大学で出会った男友達の中で、あんなに話をしたのは2人くらいだ。
大学を卒業してすぐの頃、私は失恋をした。
いや、始まってもいなかったので失恋とも呼べない、とにかく気持ちの悪い関係だった。
ある日その人も交えた飲み会があり、
開始が遅かったので朝まで続きそうだったが、私は一緒の場にいることがどうしても辛く、
その場を先に出ることにした。
終電もとうに過ぎた駅前でぼんやりと立って、
そういえばこの駅は山田の家からそう離れてはいないんじゃないかと思った。
当時はスマートフォンもないご時世だったので、
私は携帯電話で、山田に電話をかけた。
覚えていないけど、それで、山田の家までの道を聞いたんだと思う。
たしか環七だか環八だかの大きな道をただまっすぐ
お気に入りのソニーのウォークマンで、
当時好きだった音楽を爆音で聴きながら
山田の家まで歩いた。1時間以上かかったような気もする。
見覚えのある白いマンションに辿りついて、
私は山田の家に入り、山田の部屋のベッドで、大量に泣いた。
今となってはよくもあんなに泣けたものだなと思うくらい泣いた。
数年後、あのときのことを振り返って
「山田、あのとき、ずっと背中向けて机でパソコンつついてたよね」
と言うと、
「なに言ってんだ、あれは、音楽を選んでたんだ」
と山田は言った。
ビル・エヴァンスだったそうだ。
ひたすら泣いていた私は音楽が流れていることさえ気づかなかった。
今はあのときのように泣くこともなくなった。
あのときあんなに泣いたから、かもしれない。