2020年5月10日

ぼろぼろからもタンポポ(4月の日記)



ここのところ、歩いてるときはアラジンのサントラをずっと聞いてる。
悪役もすごくいい声をしてる。
色々とひしがれている私に
やることは、やって
とくみさんは言ってくれる。
この人は私の嫁だと思う。
コロナは、ウソや。
その表現はいかがかと思うけれど、
そう言える父が誇らしいとも思う。
なかったことにするのでもない、
ただ希望を抱くのでもない、
無視するのでもない、
ただ受け入れて、それから希望を抱くこと。

高校3年生のとき、定期演奏会のパンフレットに寄せた文章。
「初めに、大きな支えとなってくれた母に、導いて下さった先生方に、いつも助けて下さった先輩方に、クラブを共にしてくれた後輩達、温かく見守ってくれたすべての人に感謝します。本当にありがとうございました。(中略)6年間、特にこの1年は辛く苦しいことの連続でした。でも、仲間と共に悩み、考え、音楽を作り、一生懸命に過ごせたこと、幸せに思います。そして、伝わらなかった思いは時を越え、いつか届くと信じたいです。」
もうこういうのは終わり。

〜=〜=〜=〜=〜=〜=〜=〜=〜=〜=〜=〜=〜

4月某日
「あんた、今、"打ち上げられた何か"みたいになってるよ。」
わたしはいつも、そして大事なとき、人が近くにいてくれることを本当にありがたく思う。話をしたとき、人の「うん」という声ってこんなに美しい響きだっけと初めてのような気分になる。
そして改めて携帯の画面に映った自分の顔を見て、友人が表してくれた私の状態の表現が的確であると知る。
"打ち上げられた"というのは空にじゃなくて多分海辺。

4月某日
朝 ドーナツ1個
昼 ドーナツ1個
夜 焼肉

4月某日
くみさんとラジオの打ち合わせ。
私「じゃ次の打ち合わせ、いつにします?」
くみさん「どうしよかー」
私「ちょっと手帳見てみますね。。あ!何も予定がない!」
(手帳を、開く、ただの癖!)

4月某日
モトキさんが借りるものを取りに家にやってくる。椅子に座り、部屋を見渡し「この家には、何かが足りない……」というので「へ?何?」と聞くと「生命。」と言って帰っていった。

4月某日
昼 味噌汁
夜 味噌汁

4月某日
冷蔵庫の野菜がキャベツだけになったので、八百屋に行くと、
帰りに、道の上で翼を広げたままの鳥が動けなくなっていた。




「・・・翼を広げたままの、鳥・・・!」
かがんで様子を見ると、パチ、パチ、まばたきをしている。お腹も膨らんだりして息もしているのでしっかりと生きているらしい。
「どうしよう・・・」かがんで鳥を見つめて「どうしたい・・・?」と尋ねる。
鳥はパチパチとまばたきをするばかり。
生きているのだからそれを土の上に移動したって何にもならない。
(私は夏に、コンクリートの上で昇天したセミを土の上に移動させるという地味な活動をしてる)

鳥の言葉がわかればな!と思いながらも、ピーともスンとも言わないのだからどちらかというと必要なのはテレパシー。数分ほど見つめあってもラチがあかないので立ち上がり、意を決して、鳥が動けなくなっているところから5cmと離れていない、つまりすぐそばの店に入店する。もし怒られても「敷地内、」というお守りがある。

「すみませ〜ん」そこは薄暗い骨董屋。所狭しと物が置いているタイプではなく、わりと空間をあけて大きめの古道具だけが置かれている。そこから左に目を向けると、簡単な仕切りで区切られたTVなど置かれた商談スペースらしき空間があり、そこに鎮座していたらしき店主(50代・男性)がのっそりと姿を見せた。私は状況(といっても、「店の前で鳥が動けなくなってます」ということのみ)を説明し、店主を店の外へ誘導。私の期待では、店主の年の功で、「おお、鳥か。この鳥がこういう状況に陥っている場合、これをこうして、あれをどうして」とすばやい解決法を伝授されることをイメージしていたが、「どうしようか・・・」。まさか道路上で立ち往生する人間が2人に増えただけだった。それでも、その店主がいとも簡単に手で鳥をすくい上げたところで状況は少し進展をみせた。

「おまん、飼うちゃれや〜」

そうだ、土佐弁で「お前」を「おまん」というんだった。と私は全く関係ないことを考える。

「猫がきたら、食われるかもしれんきね〜」

なるほど、そうか。さすが骨董屋店主。
たしかにそれはそうだと思い、私はひとまず、その鳥を道路からわが家へと移動することにした。
何より大切なのは生命!そうして去り際、丸い背中で鳥を抱えて去る私に骨董屋店主が言った。
「その鳥、幸せにしちゃったら、あんたに幸せがかえってくるかもしれんで〜!」
・・・見返り・・・!?
(*)

4月某日
上の服を一日中前後ろ逆に着ていた。

4月某日
また上の服を一日中前後逆に着ていた。

4月某日
公園まで散歩し、友人とコーヒーを飲む。
珍しい犬を連れたおじさんに何犬ですかと聞いたら
「雑種とマルチーズのミックス」、そこから犬の生まれた月日と年齢と名前まで教えてくれた。
さらに遊具に手をかけていた私たちに「はよ、うんていして。」とおじさんは指図し、私たちはそれはスルーした。

4月某日
映画を見た後、洗面台で鏡を見ると自分の顔が土の色をしていて驚く。
顔に土でも塗ったのかと考えてみるけど、家にある土はすべて愛する観葉植物に捧げてる。

4月某日
お父さんと会う。
「コロナは、嘘です」
その表現はいかがかと思うけれど、持論をまっすぐ語る父を私は面白いと思う。
30歳を越えてから父親と交流をもてるようになった。
4歳くらいまでの写真をもっていき、ほしいものがないか見てもらう。
父の選んだ4枚のうちの1枚。

父はこんなことも言っていた。
「一度受け入れる。一度受け入れてから、希望をもつこと。」

4月某日
起きて、2時間お風呂にはいる。
2時間散歩する。
昼にビール、夜は本搾りを飲む。
夜また1時間半くらいお風呂に入る。
本を2冊読む。

4月某日
私たちはもう完璧だよって泣きながら笑いながら言いたい。

4月某日
1時間半、散歩。スーパーで色々買う。

4月某日
DVD一本見てツタヤに。1時間半歩く。食パン3枚買う。アンチョビとトマトの缶詰も。また帰って少し映画を見る。夜、冷蔵庫に残っていた最後のビールを飲む。自転車を飛ばす。また朝5時まで起きている。朝はやっぱり美しかった。

4月某日
夜、豚汁と納豆とご飯と海苔とハイボール。
電子ピアノでモーツァルトを弾いていたら眠くなる。

4月某日
川を見ながらホールニューワールド聴いてる。
エブリターンイズサプライズ。

4月某日
野菜「豆苗」とDVD「四畳半神話大系」が2度目の観察に突入する。


(*)鳥を保護した場合は、すみやかに役所に連絡することが必要らしい。本来はできるだけ保護もしないのがベター。野鳥は捕獲や飼育することが禁じられている。止むを得ず保護した場合は環境(場所・温度・明るさ)だけを整えてあげる。あとは何もしない。エサや水分をあげてしまうのは法に反する行為らしい。あやうく固めにゆでた卵をあげてしまうところだった。役所からの折り返しの連絡を待っている間、あせってしまって卵をゆでてしまっていたから。セーフ。市役所に連絡して1時間ほどすると担当の人が来てくれた。鳥を渡して「このあとどうなるんですか?」と聞くと、かの「わんぱーくこうち」に連れていくのだとか。そこに獣医がいるらしく、治療なり面倒なりをみてもらえるらしい。さらにその後は、「わんぱーくこうち」の仲間になるか、あるいは本来の野鳥として放たれるのだそう。そんな役割も果たしていたなんて、すごいわんぱーく。