2017年9月3日

権力

ある日、いつもの通勤路を駅まで歩いていると、
とあるごみ捨て場の前を通りすぎた。

ん?

と思う。
ゴミの上にある、緑色のネットに何か紙のようなものがついていた。
あれだ、ゴミを飛ばないように抑える、あるいはカラスよけの、よくある緑色のネット。
近づいて、その紙を見てみた。

網にさわるな
誰がつけたか
判っているのか


と書かれていた。

「わからない」、と思う。誰がこのネット(網)をつけたか、さっぱりわからない。
そして、すごい、と思う。この張り紙は「わかるだろ?」のテイで書かれているから。
すごい自意識だ。

「オレがつけたってわかってるくせによくも網を」、、、

いや、ちがうかもしれない。
自意識じゃないかもしれない。
自信があるのだ。
俺のものは俺のもの、お前のものも俺のものと謳うジャイアンを軽くこえる力があるんだ。
権力に裏付けられた自信。
自信があるなんてもんじゃない。自信がみなぎっている。

もう一度読んでみる

網にさわるな
誰がつけたか
判っているのか

すごいみなぎりだ。

「わかる」に「判る」という漢字をあてはめているところがやはりすごい。
明確にわかる人物でないととてもじゃないけど「判」は使えない。

しかし、どうしてそんな権力のある人が網を気にしているのか。
もしかして家宝なのだろうか。網が。

そして、網をさわったのが「ハト」であった場合、





「判る」まで行ける可能性は少ないが大丈夫か。

そうか、それはとるにたりないことなのか。